集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

感動的な言葉に出会いました

あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け (参考・朝日新聞12月12日付) 

 ノーベル平和賞の授賞式(10日、ノルウエーのオスロ)で、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の運動推進者で被爆者のサーロー節子さん(カナダ在住)が講演したなかの実体験の話です。被爆の実態を感動的に語ると同時に未来に向かって全世界の人々に呼びかけ・訴えたこの言葉はずっと歴史に残るだろうと思います。

 当方は、生まれて2~3年のころのため第2次大戦についての記憶は全くありません。成長するとともに戦争とりわけ原水爆の悲惨さを知り、人類がどのような理由付けをしようが生きるために作ったり使ってはならないと思うようになりました。それが先の大震災による原発事故によりさらに明確になったと思います。

 頭の中で、そのように思っているだけで、被爆の実態やICANの運動や役割など深い関心を持っていませんでした。しかし、この2017年は、国連で核兵器禁止条約が採択された。その運動に貢献したとしてノーベル平和賞が授与されたわけでしょう。核兵器廃絶に向けた大きな歩みが記録される年だと思います。

 彼女の言葉は「被爆」という戦争の悲惨さと一体となっているが、当方にとっては”人生応援歌”のようにも聞こえる。誰かが”星ほどの明るさが見えるだろう。それに向かってはってでも真直ぐに進むんだ”と励ましてくれているようでもある。貧乏から脱出しようともがき続けてきた我が人生(今後の老後を含めて)にも重なる感動的言葉である。

 被爆体験とわが人生と比べるのは失礼と思いながら彼女の訴えを読み返しています。