集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

原発処理水海洋放出反対

 あの大震災から10年。震災で原子力発電所が爆発してから10年。放射能が降り注ぐ我が家に住めなくなってから10年。そのような10年が経過しました。

 4月13日。原発爆発に伴う汚染水から放射能を除去するために貯蔵していた処理水を海洋に放出することを決めたという。何たることか。爆発によって避難している人々がいるのにさらに追い打ちをかけるように生活の場としても重要な海を「処理水」といえども人為的に汚してほしくない。東北で生まれ育った爺として許すことはできない。

 14日付けの新聞には、住民ほかの悲痛な声が紹介されていた。その中で豊洲市場の仲卸の方が苦しい胸の内を吐露していた。それは福島産も「国が言うように『危険ではない』と伝えること」だけ~という。国の言う「危険ではない」=「安全」ということを信じて原発を容認してきたはずである。だが原発が爆発して分かったことは「安全」ではなく「危険だった」。だからこそ多くの人々が生まれ育ったフクシマの地で生活できないのが現実である。

 いま政府は、近隣国も海洋に放出している「危険のない処理水だから」と説明しているようだが、今後とめどもなく海洋放出するわけでしょうから「危険のない」を後世にわたって立証しなければならないはずだ。かつて「黒い雨」や「ミノマタ」があり「アスベスト」だって人々に苦渋を強いている。加えて「花粉」や「黄砂」で被害を被っているのが現実である。

 2年後とはいえ「海洋放出」を断念し、国と東電、原発関連者はすべての廃炉に向けた科学技術を積み重ねるべきだ。

 ポイントは、放射能被害と原発・核とサヨナラの行程を見据えることではないだろうか。