集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

岩手県の県民性は本物でしょうか

 新型コロナウイルスの感染拡大は「県民性」や「民度」まで炙りだすことになりましたね。いまだもって感染者ゼロを記録している岩手県。その一方で「アラート」解除後に感染者が増えている東京都といったように”なぜだろう”の話題は尽きない。

 朝日新聞27日付を読みながら「コロナ」と「県民性」を想いおこしました。北東北の山奥で育って高齢者の当方は「岩手県人」の県民性に同感します。それは「我慢強さ」とか「粘り強い」、「まじめで慎重」などに表れていると思います。私の甥は60歳を前に都会に再就職しました。その経過を聞くと雇い主は「東北人の粘り強さや頑張り」に期待したみたいという。いわゆる県民性が一般的に理解されているのだろうと思いました。

 コロナウイルス感染との関係については、人口密度があまり話題にならないのはなぜでしょうか。朝日新聞では岩手県のほか比較的人口の少ない山形、高知、香川、徳島、島根などが取り上げられている。そこには大都市化されない農村の原風景が残されているとも思います。その風景は記事には反映されていません。

 岩手県で感染者がゼロを記録しています。もしものこと大臣の麻生さんが知事のタッソさんに「岩手県ではどうして感染者ゼロが続いているのでしょうか?」と質問したとします。すかさずタッソ知事は「それは大臣の住んでおられる地域とは民度が違うからですよ」と答えたでしょう。それを聞いた麻生大臣は口を開けたまま次の言葉が出なかったそうです。そんな笑い話が聞こえそうです。

 想い出しました。岩手県では国分謙吉、千田正らが知事を務めました。国会議員では田子一民、推名悦三郎、鈴木善行、小沢佐重喜らが選出されています。そう東条英機、米内光政も岩手県人なら原敬もそうですね。評価はいろいろでしょうが一生懸命さだけは同じかもしれません。県民性でしょうか。