集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

高検検事長辞任で済ませてはならない

 話題の「検察庁法」について、政府がいま開かれている国会での採決を断念(18日に発表)した。それについて「拍手喝采」したのは20日だったと思う。

 それが21日(木)の新聞はいっせいに当の「高検検事長」が「緊急事態」下のさなかに麻雀に興じていたらしいと報じた。このことは21日発売される「週刊文春」に掲載されるというものだが、全くの驚きである。

 老人の当方は、昼飯を食べながら「週刊文春」を読み改めて驚いた。なんと産経新聞記者2人と朝日新聞元記者が同席していたというではないか。4人での麻雀はありうることだが、「緊急事態」のもとでしかも渦中の人本人を囲んでいる。さらに「違法」と言える「賭け麻雀」を違法を取り締まるべきトップの人が平然と興じている。そのうえ初めてではなく何回も同じメンバーで興じたというから、行為自体犯罪だと思った。

 夕方帰宅途中で夕刊紙を買うと「検事長辞任」の見出しが躍っていた。このスピードでは様々なことを想像できる。本人が賭け麻雀を認めた。政府の意向反映。法律改定の意味が失われる。従って廃案も想定される。このスピードには廃案させない狙いもあるなどなど。

 22日になると、例の検事長の処分はか~るい注意「訓告」のようだ。検察のトップでありながら緊急事態のさなかに賭博をしたのにだ。また政府内当事者の法務大臣が進退伺を出したが慰留され職務を継続するという。つまり「モリカケ」に次ぐ「忖度」が重く根付いてしまったということのようである。

 市民の力でまっとうな社会をつくるしかない。そう思う次第です。