集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

テレビ「ポツンと一軒家」に拍手

 我が家のテレビは、料理、旅、クイズ、韓ドラがほとんどで、最近は楽しみの「笑点」も消えてしまった。そうしたなかで「ポツンと一軒家」(テレビ朝日、日曜夜)が共通の話題になってきた。楽しく見られる番組であり拍手を送りたい。 

 番組は、航空写真を基に山奥のポツンと一軒家を探して突然訪問する内容だが、なかなか発見の多い番組である。しばらく前のことだが、番組をきっかけに結婚相手が見つかったとの話題もあった。

 山の中の昔の集落は「限界集落」から「消滅集落」へと進み、生活さえ成り立たないのが現実。しかし、都会の喧騒とは全く違う自然の中での生活は「便利」とは別の価値を教えてくれる。子どものころの4世代家族を想い出す郷愁が忘れられない。時折涙さえ出てくる。

 70年ほど前の自給自足の生活を想い出す。当時我が家は、山の中腹の集落(と言っても1軒1軒は歩いて20分ほどの距離だった)にあった。炭焼きをしながら麦や稗、ソバ、大豆、小豆、野菜を栽培し、山菜や木の実を食料としていた。肉類はうさぎやキジ、タヌキ、馬、川魚などだった。そのころは、クルマの通る道はなく自転車もなかった。ひたすら山道を歩くしかなかった。小学校へは歩いて片道1時間、中学校へは片道2時間かかった。もちろん電気はなく灯油ランプで明かりを取ったしラジオなど聞いたこともない。

 いまテレビに登場する「ポツンと一軒家」は、車が移動手段であり電気に頼る生活がほとんどである。澤水を使うのは似たようなものだがろ過設備は整っているようだからそれだけ”文明”が進んだと思う。それでも80歳台の高齢者の想い出話には「子供はふもとへ下宿しながら中学校に通った」などが出てくるから、様々な苦労が読み取れる。

 山奥の生活から離れたくない気持ちは、よく分かる。先祖代々の墓がありそれを見守りたい。緩やかな人づきあいがあっている。その方が気が楽である。今更知らない人の中に入りたくない。自然の空気が身体にあっている。喰うものに心配はいらないなどなど。山奥だからこそ人情もある。何も「お金さえあれば」とか「便利」だけの生活が「幸せ」とは言えない。そうした「価値観」がもっともっと評価される世の中になってほしい。

 番組を見ながら、様々な郷愁を感じるこの頃である。80歳が目の前になった。