集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

遠い昔の卒業式

 いまどきは卒業と入学の季節です。それは人生の転機でもあるでしょう。

 想い出すのは、中学校の卒業式のこと。いまから60年ほど前のことである。

 当時私は、継ぎ接ぎいっぱいの学生服を着て通学していた。せいぜい卒業式には継ぎあてしない学生服を着たいと思うのは当時の気分であった。それも卒業式では、3年間の欠席日数が5日ほどと少なく「精勤賞」をもらうことがわかっていた。そのことを父に伝え、前日には中古の学生服を入手する予定であった。ところが前日の夜父は帰ってこれなかった。

 卒業式の朝、頼りにしていた学生服がなく悶々としていると隣家に嫁いでいた姉が、私より2歳年上の子の学生服があるので「それを借りて行けばよい」と教えてくれた。それでも私は気分が晴れずに、今まで通りの継ぎ接ぎだらけの学生服で登校することを決断した。いまでも「あの時の決断」は間違っていなかったと思う。そんな気分(気持ち)がその後の人生にも影響しているのだろうと思う。

 結局、父は卒業式に町から直接参加してくれたが中古の学生服は届かなかった。従って卒業式後に友人と撮った写真には普段着として通学していた「継ぎあてだらけの学生服姿」が映っている。

 当時は、その姿が恥ずかしかったが、いまにして思うと「自分の決断」に感謝している気分でいっぱいである。

 貧乏ゆえに「何かがかなえない」ことはいっぱいあるでしょう。その時に「じっと我慢」する決断こそが人間を成長させてくれるのだと思っている。そんな積み重ねが70年人生のほとんどであるが、その時々に「我慢できないこと」もある。今では「文書改ざん」であろうか。安倍暴走!許すな!!