集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

3・11とコットンの話題です

 東日本大震災発生の3月11日の日です。午後からの会合で参加者とともに黙祷しました。被災者、犠牲者に対するささやかな気持ちでした。

 7年前のきょう、当方は外出から帰ってくると経験したことのない大きな揺れに襲われ近くの樹に抱き着いていました。しばらくして揺れが収まり4階の住まいにたどり着きました。大きな被害はなかったが近所のことを想いおこし見回りに出るとものすごい液状が噴出しているのに遭遇。それからは必至の通路確保が始まりました。暗くなるまで近所回りをして、我が家で落ち着き被害の大きさを知ることができました。

 7年前の3・11の想い出である。

 今回は朝日新聞を参考に、東日本大震災に関連するメモを綴ります。

 朝日新聞9日付は経済面に「復興支援」のタイトルで連載記事を掲載した。その見出しは「綿花がつむぐ再起の糸」です。わが国で綿が育つのかといった思いもあり読んでみるとなかなかのユニークさに驚きを感じた。

 被災地で綿花栽培を始めたのは2011年6月というから、震災から3か月後のこと。10社で始めたプロジェクトは現在では70社まで広がっているという。そのプロジェクトは「東北コットンプロジェクト」。被災地で栽培された綿花全量を大正紡績が買い上げて綿糸を作り、アパレルメーカーなどが製品化し販売する仕組み。綿花の収穫量は最近続けて1トン近くを記録しているそうだ。このプロジェクトを支援する人たちが増えることを願ってやまない。

 いま、参加企業の広がりが見られないとか製品の扱い店が東北に少ないなどの課題があるらしい。

 誰もが被災地の復興を口にするが、真剣に復興事業に取り組むかとなるとなかなか難しいのが現状。せめてコットンプロジェクトのような目に見える事業を支えてほしいと思う。