集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

喜寿前の同級会賑やか

 なぜかこの時期に、東北の山奥で机を並べていた中学校の同級生が都心で交流しました。きょうは男6人と女4人が顔を見せた。うち5人は中学校卒業と同時に集団就職列車で上京した仲間。ほかの5人も事情は異なるものの10代のうちに職を求めて上京し、必死に働き世帯を持った似た者同士である。

 この同級会は、中卒で20歳前に大会社の社員となったJ君の奮闘により都心の社員クラブを借りてほとんど毎年開催している。本当は20人近く参加できるはずであるが亡くなった人が4人ほど、今回は体調を崩して参加できない人が少なくとも4~5人いた。ほかにも生活基盤を首都圏に移している同級生はいるらしいが情報不足が続いている。

 話題は、中学校時代のことと現在の健康状態、とりわけ健康維持をめぐっての努力などである。60年ほど前の山奥での貧乏な生活を想い出しながら日々を楽しんだことが方言丸出しで飛び交うのだ。おそらく他人が聞くとまるで外国語に近い表現だろうと思う。

 たまたま「塩の道」が話題になったが、牛方は「強いワガサ」を求めて腕を競い合ったとの解説を読みながら「ワガサって」何だろうということになった。牛方というのはおそらく”ひい爺さん”の頃の話であり現実味はない。そこで牛の鼻ズラのことだろうとかいろいろ想像をめぐらせた回答が出ていた。

 本当は「ワガサ」とは”先頭に立つ丈夫で強い牛”といった意味らしい。その強い牛を決めるためにいつの間にか「闘牛」が始まったらしい~そんな情報をえて納得した次第。

 これは、参加者に伝えてあげようと思う。

 もう一つ大事な点は、6月ごろ郷里の沸かし湯の温泉宿で同級会を開こうと話し合いました。参加に向けて今から健康管理に取り組もうと思う。

 みんな、いつまでも元気で行こうね。感謝。