集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

再・下流老人とは!

 先に、自分のことを「下流老人予備軍」と書いた。

 あとになって、実は「予備軍」ではなく「下流老人」の1人で間違いないのではと疑問を抱いた。改めて藤田孝典氏による下流老人』(朝日新書)を読み直した。

 藤田氏によると下流老人」の具体的指標は次の3点。

 1)収入が著しく少ない

 2)十分な貯蓄がない 

 3)頼れる人間がいない(社会的孤立)

 収入は、生活保護レベルかそれ以下の場合という。首都圏の場合1人暮らしなら年額150万円前後だそうである。もちろん条件によりさまざまであるのは当然のこと。当方の場合この収入について「現時点」では、かすかに「下流予備軍」である。それは現時点でパート収入を得ているからであるが、パート収入が途絶えた瞬間から下流層に転落するだろう。その現実が目前である。

 貯蓄は「ない」も同然である。藤田氏は、65歳の2人暮らしを例に「月約21万円の収入」(年金他)があったとしても貯蓄額300万円では約4年で底を打つという。仮に貯蓄額が1000万円あったとしても14年余には貧困に陥る可能性が高いという。貧困層転落直前が現実である。

 頼れる人はいるのだろうか。子供は頼れるか。それとも親しい親戚か。子供は「現時点」私以上に「貧困ライン」に近いようである。むしろ双方が寄りかかって「共倒れ」になる可能性の方が高そうである。

 いやはや、のんきにも「予備軍」と表現したことを後悔するばかりである。