集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

民進党代表選雑感

 新聞を読んでいると民進党の代表選挙関連記事が毎日大きく扱われている。それだけ報道価値があるのだろう。まったくの部外者として代表者よりも政党としての「芯」とか「心棒」を確立することが大事ではないかと思う。代表者の「求心力」に頼るのでなく「芯」や「心棒」による「結集力」により政党支持を広げたほうが良いのではないでしょうか。マスコミは「心棒」づくりの話題は全く報道しないのは、代表選では課題になっていないのだろうと思う。実に残念でならない。どうも、代表者の顔で「みんな」でも「維新」でも合流しながら数を増やせば多数政党になれるだろうといった腹の底が見えているようにも思う。国民は”そうした足し算政党”に期待してはいないのである。

 時代は変わっても、国民の多くは自民党との対抗軸としての勢力に期待を込めているだろう。高齢者はかつての社会党を想いおこし、さらに時代を経て民主党政権を想いおこす。社会党ではマドンナの土井たか子が印象強い。民主党政権時は、年金問題八ッ場ダム、予算の仕切りなどが新鮮さを与えてくれたと思う。

 その後の、消費税、原発憲法、沖縄、年金など重要な問題で明確な政党姿勢が見えなくなり次第に支持者を蹴散らしてしまったような気がする。やはり代表者のキャラクターよりも政党としての「心棒」の問題だと思う。世は”ポピュリズム”がどうのこうのという。しかし本当に「民心」(民進党に通じる)をつかむことが政党にとっていけないことなのだろうか。

 とりわけ「安倍政権」の下での民心(民進党ではない)は、憲法原発、消費税、沖縄、労働問題、介護・年金などについての”しっかりした態度”を政党に求めているのだろう。確かにマスコミの役割も大きいのだが、諸問題での改革を求めようとすると、その先に当然ながら「野党共闘」が登場するだろう。共闘を頭から否定するするようでは政党として立ち行かない。現実に「自公政権」や「日本新党」や「さきがけ」だって連立を組んできたのだから。

 自民党と地方政治で対立を演出している「ファースト」に目と心を奪われることなく”マドンナ時代”と”政権時代”を振り返りながら「心棒」づくりに全力を挙げてほしいものである。

 新聞によると、自民党のブレーンを役員に招くような大胆さが必要との意見が紹介されていたが、それで本当に国民の多数が期待するような民主的な政党が誕生するとは思えない。真逆に「共産党」の綱領を真似して現在の国民の信頼を一手に集める方法もあろうというものだ。

 改めて部外者の雑感である。