集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

同級会8人で開催する

 集団就職かるら60年ほどが経過する。そのような意識があったわけでもないが4日、東京で同級会が開かれ8人が参加した。 

 郷里の中学校を卒業した者がみんな集団就職で関東圏に住んでいるわけではないが、関東圏に生活拠点を構えている同級生が結構いる。中には交友を拒否する人もいるが、生れてから15年育った郷里を想い出しながら方言丸出しで話し合える同級会は楽しみの一つである。

 今回は8人の参加だったが、連絡の取れる人はほかに7~8人はいるらしい。卒業時の同級生は40人ほどだったからかなりの人が関東圏に生活拠点を築いていることになるだろう。その同級生がいま後期高齢者となったわけである。

 入学当時の中学校は村立だったのか町村合併後の市立だったのか定かでないが、その前後にとても町の形などない「村」が「市」になってしまった。というのもはっきりと覚えているのは当方が住んでいた集落に電気が届いたのは中学2年生の時であった。それまでは夜の明かりは灯油のランプであった。今ではそれも懐かしい想い出である。

 同級会では、その頃の想い出よりも、いまの健康状態やこれからのことの話題が盛り上がった。その一つに”郷里に老人のためのグループホームを作ろう”ということだった。それには訳がある。限界集落が消滅集落になりつつあること、したがって土地が安く入手も可能かもしれない、近くに市の福祉センターがある、ホームにより定住者が増え村おこしに役立つ~といった夢である。しかし、今は元気な人が考えているが3年後に元気でいられる人が何人いるだろうかと、現実をぶつける声が聞こえてくると、今までの笑い声も真顔に戻ってしまう。

 でも、後期高齢者になって夢のような話で盛り上がっていることが健康的かもしれない。実際に欠席した彼は脚や腰の痛みで遠出ができない状態という。また家族の看病に時間を費やす人もいる。それが同世代の現実であるのだ。