集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

貧困問題を学びながら「生きる」を考える

 過日「貧困たたき」をテーマにした学習講演会が市内で開かれたので参加した。

 主は、現役新聞記者が、取材報道を通して考えたことを伝える実体報告といった内容である。それに対する質問や意見交換が続いた。1時間半ほどの学習会だったが多くの点を学習できたと感謝である。

 記者の報告は、千葉県銚子市で2014年9月に起こった”母娘心中未遂事件”が中心のようであった(インパクトが強く問題点もわかりやすいという意味で)。ほかに生活保護受給者からパチンコを理由に資格を停止するといった問題などが報告された。いずれの内容も報道などで知ってはいたが、潜んでいる問題点を考えるまでに至らなかった。これからの社会生活で直面するであろう問題として学ぶことが多かった。

 ”母娘心中未遂事件”は、県営住宅で生活していた母娘が、家賃滞納で強制退去を迫られ、それが執行される際に母が娘を手にかけて殺してしまった~という痛ましい事件。なぜ強制退去以外に方法はなかったのか、母子家庭の現状、それまでの経過、命を大切にする行政とは何かなど様々な問題が浮かび上がる。

 大きな問題は、退去手続きの経過の中で母子の生活状況を把握し生活相談に応じられなかったのだろうか。母親は何度か行政に対して「生活保護」について相談しているが心のこもった対応がなく母親に対して「無理だろう」との印象を与えている。結局母親は「住むところがなくなっては、生きてゆけない」と判断し「自殺」を選んだが、当日は娘が登校しなかったために「心中」へと進んでしまった。

 国民には「安心して生きられる権利」があるというのは大げさなことだろうか。住居を奪うこと(奪われること)は、生命を奪うことに直結する場合行政はどのように対応するべきかの発想が欠けていると思う。生活保護についても、深刻な問題があるからこそ相談窓口を訪問しているという意識すらかけていると強く指摘したい。生命を守るべき行政の問題点である。

 生活保護受給者がパチンコをしたために資格停止の警告、処分を受ける問題もいくつか発生しているそうである。ギャンブルのパンチンコは依存症の人が多いらしい。生活保護の打ち切りで依存症は克服できるのだろうか。またパチンコは生活保護打ち切りの対象だがほかの支出(例えば映画などの娯楽)はどのように判断されるのだろうか。生活保護を受けているのだから「ぜいたくな生活をしてはならない」と指導、誘導する社会につき進むことが怖いと思う。

 後期高齢者に加わる者としてこれからも「生きられるか」を真剣に考えなくてはならないと思った次第である。