集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

定時制4年生で「進学クラス」を選ぶ

 1週間ほど前のこと「高校のヒラサワです」という電話が入った。用件は「10月末に同期会を開くので日程をあけておいてほしい」という内容だった。この会合を前回開いたのはもう5年ほど前のことだろうか。しばらくぶりに開催を準備しているらしいことがわかりうれしい限りである。

 同期会とは、1965年3月(1964年度)定時制高校を卒業した仲間たちのことである。通常であればちょうど70歳のころだろうか。それを上回る年齢の人が多いことだろうと思う。50年ぶりの再会という人がいるかもしれない。楽しみである。

 夜間定時制高校の4年生になったのは1964年4月である。

3年生のころから「ここまで頑張ってきたのだから大学まで行ってみようか」といった気分が生まれていた。そんな気分からクラス編成希望の折に進学クラスを選んだのだった。手元の名簿を見ると進学クラスの「4年B組」は25人だった。一方の「4年A組」は43人の大人数だった。名簿を見ながら同期の卒業生は68人だったことが分かった。ちなみに3年生は2クラスで98人、2年生は3クラス約150人、1年生は3クラス約160人の編成だった。1クラス50人以上の詰込みだったとは驚きである。それだけ定時制高校を目指す人が多かったのだろうと思う。

 クラス編成を見ると、わが同期会は70人弱だが入学時は100人を超えていただろうと想像できる。またそれ以後の入学者はしばらく150人以上を数えていたのだろうと推測される。

定時制高校”隆盛期”の時期かもしれない。