集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

弁論大会で司会をしたのだが~

 いわゆる生徒会長として恒例の校内弁論大会(予選)の司会を務めることになった。

 それより前に模擬弁論大会が開かれた。なぜか明治大学の弁論部の学生を招いて司会から弁論の仕方などを学ぶ機会が設けられた。それを見聞した当方は学生の堂々とした姿勢に圧倒されてしまった。初めて接した「弁論」の在り方に感銘した当方は、実際の司会でそっくり物まねで大声を張り上げて弁士と演台を紹介したのだった。

 その時は、学生の姿勢に感銘したばかりであったため得意気になっていた。同時に定時制高校生の間ではなんとなく浮き上がっていた様子も感じていた。それでもその場は”物まね司会”の姿勢を貫いたのだった。

 今にして思えば「恥ずかしさ」いっぱいである。何も学生弁論大会の物まねでなくてもよかったのにと思うのである。赤面する思いである。

 7月の本選は都合で参加できなかったが、なかなか気持ちのこもった主張が披露され、いずれも仲の良い友人たちが上位を占めた。優勝したのは「苦難は幸福の門」の演題で論じたナカムラ君だった。次いで「働くよろこび」のニシカ君、そして「私たちは無力ではない」のスズキ君。さらに「生きる道」のカトウ君は敢闘賞に、「義務・権利・自由の関係」のタカスガ君が努力賞に選ばれた。

 1963年夏の想い出である。