集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

弁論大会を聞きながら定時制進学固める

 15歳から夜間定時制高校へ入学するまでとても”まじめ”とは言えないが通信教育講座を受け、ときおりスクーリングにも参加した。学習というよりは受講生仲間で作る「東京支部友の会」文学部に加わり交遊するほうが多かったように思う。そうした中で夜間高校への進学を決断した。

 1960年(昭和35)12月初め、通信教育受講生による「関東学生大会」が開かれた。内容は講座を主宰する学院、先生、受講生による記念イベントといった感じであった。院長先生のあいさつがあり、受講生代表がお礼の言葉を述べるというもの。ほかに20名ほどが主張する弁論大会が開かれた。

 弁論大会で優勝したのは「通信教育生及び定時制教育生に対する社会の眼」であった。弁士は、憲法26条「すべての国民は法律の定めるところにより、その能力に応じて平等の教育を受ける権利を有する」や「高等学校通信教育規程」が1948年(昭和23)に公布されたことなどに触れながら「教育の平等」を説明した。ところが現実を見ればと展開。文部省では定時制高校を整理するといった検討が始まっているなど通信教育生として見逃しにできない。また全日制卒業でないと入社試験さえ受けられない例などを挙げながら、指導者や社会は「人間は常に平等である」ことを認めながら、現実は「あまりにも差別が有りすぎる」と主張した。そのうえで「定時制教育生、通信制教育生に安心して働きながら勉学できる標識を立てていただきたい」と結んだ。 

 第2位は「理想より実行を」の主題で、時の池田隼人総理の主張を批判しながら、浅沼委員長の暗殺事件や乱闘国会を取り上げ、国民はもっと政治に関心を向けてほしいし選ばれた政治家には「より良い政治」求めて。 

 第3位の「若人の使命」は「若さと情熱にまかせて欲心のまま生きる」のでなく「明日の社会のために、明日の我々のために、輪になって進むこと」だと主張した。

 弁士たちの主張を聞きながら夜間高校へ進学したいとの気持ちを一層強くしたのだった。