集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

老後を心配しながら「貧困」を考える

 後期高齢者が「老後」を考えるのは、あの「2000万円」問題が大きなきっかけかもしれない。そのほかに「消費税10%」の実施が、追い打ちをかけたように思う。

 老後を心配なく過ごすために必要な資金は「2000万円」。といったって何歳まで生きられるかわからない。現実は、年金では生活できないためにパートを続ける。それでなんとなく夫婦2人が食いつないでいるのだ。そこに「消費税10%」とは貧乏人への仕打ちのようなものだ。

 自給自足状態の少年が都会で後期高齢者になり、パートで食つなぐ現実は「自己責任」かもしれないが、そんないまの政治社会制度はおかしいのではないだろうか。

 そこで貧困層の分厚さについて考えるようになった。

 典型は「生活保護」だろうか。生活保護基準に満たない人や世帯貧困層というらしい(不正確かもしれない)。働く貧困層は2014年をピークに減って入るものの依然として1000万人を超える多数である。

 そうしたなかに「働く貧困層とか「ワーキングプア」と呼ばれる人たちがいる。また大学院を卒業したが応分の所得がないポスドクとか「高学歴貧困」が話題である。さらに最近では「貧困専業主婦」の特徴も明らかになってきた。さらに「子どもの貧困」の多さや多様さが様々な角度から議論されている。食事が十分とれないとか保健室登校が多いとか不登校などが問題となっている。

 子どもだけではない。大人の「引きこもり」だって社会問題になっている。生きづらさと貧困が一体となった感じである。 

 マスコミ報道に要望したい。一般に「貧困と格差」が広がったと「理解されたこととして」扱われることが多いような気がする。米国流の「99%」も「常識」みたいに流されてしまう。そうではないでしょう。わが国の場合、生活保護基準未満の人や世帯がどれぐらいいて、役所はどうしようと考えているのか。なぜ「ワーキングプア」が減らないのか。社会保障の将来を含めて改善策は議論されているのか。

 それと同時に「平均像」にこだわらずに、例えば「ポスドク」の現実をドキャメンタリ―として取り上げるなどが媒体に求められていると思うのである。平均は統計でよい。物語は個別具体的が期待されていると思うのである。

 いかがでしょうか。不十分さはお認めください。感謝です。