集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

飽きれた原発のずぶずぶ関係、恥ずかしい

 いやはや~、こんな醜いずぶずぶの関係が見えたというのは、なんか恥ずかしい感じでもある。あの関西電力福井県高浜町との関係である。町の有力者が関西電力の役員など20人に3億円余を貢いだというもの。全貌が明らかになったわけではないので何とも言いようがないが、3日までの報道で感じることを書き留めておこう。

 ありうることが公になったことを喜びたいが、そんなことは許せないと怒り心頭である。町の有力者の「金集め」の仕方や関電への「貢ぎ」の仕方など一般的に許せない。しかも反対が根強かった「原子力発電所をめぐる話である。

 報道でわからない点がある。関西電力は、町の有力者の「怒り」が怖くて「つき返せなかった」そうだが、その後にほとんどを返したという。一時保管していたものを「返した」のだから、「いつ」、「誰に」返したのかを明らかにするのが、報道各社の仕事だろう。

 同時に「返金」や「返品」を受けた人は、それをどのように扱ったのか。亡くなった有力者が受け取ったのか、それとも地元企業が受け取ったのか。現金にして3億円にもなるというから、斯くしようがないように思える。 

 3日付夕刊紙は「政治家」への「飛び火」を報道した。この辺りの続報を待ちたいものである。

 この問題を解明するために、関西電力の第3者委員会構想がある。また、国を加えた解明機関の設置を要望する声も報道されている。権力機関は原子力村の後ろ盾であり、忖度が横行しているなかでは、民間主導の実態解明機関こそが求められていると思う。

 いずれにしても、関西電力の「カネをばらまいて地元を黙らせる」原子力村の体質が明らかになったことは残念乍ら良いことといえようか。東電の無責任体質と合わせて、許せない原子力企業と「安心神話」をよ~くよく考えること大事だということ。