集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

生活の実像を隠す平均値に踊るなかれ

 参議院選挙前のこと「老後2千万円問題」が噴出した。パート生活の後期高齢者である当方は、そのことは大方理解されていることだが、老後の生活に蓄えのない人(または少ない人)はどうすればよいのかが大問題であることを問うた。同時に「2000万円」が1人歩きしてしまった背景に高齢者の実態を反映しない「平均値」が虚像として徘徊したことを指摘した。さらに、高齢者の個々の実像を伝えることがマスコミの役割ではないだろうかと問題提起したつもりである。

 朝日新聞3日付オピニオンのページは『平均値を疑え』のタイトルで専門家へのインタビュー記事を掲載した。記事は見出しに「家計調査 世帯貯蓄の平均に 実は3分の2が届かず」と掲げている。まさに「平均値」は、いまの高齢者の実像(生活実態)からかけ離れていることを示しているだろう。中央値でさえ「平均値の6割ほどの水準」というからなおさらである。

 記事はさらに、この統計には「貯蓄ゼロの世帯」が含まれていないことを明らかにしている。おそらく「貯蓄」についてまとめたものだから「ゼロ」とか「債務世帯」は対象外ということかもしれない。これは当方の憶測である。

 政府が、国民の老後のことを考えるために統計を作成するのだから、憲法に従って「貯蓄ゼロ世帯」(または債務世帯)の老後生活を保障する立場から取り組んでほしい。そうした底辺層の実態を覆い隠すかのように「世帯貯蓄の平均」像を描き出しても国民の実生活の姿をとらえることはできないと思う。

 そこは「報道機関」の出番だと思う。だって、いつの時代でも時の政府は「社会保障の充実」を掲げるはずだから。底辺層の生命を救い上げることこそが社会保障の姿であると思うからです。

 昔昔、「統計学」と「中小企業論」を受講したことを想い出しながら記事を何度か読み直しました。