集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

梅雨寒もよう30年前に似る

 畑の野菜の成長が思わしくない。きゅうり、ナス、トマトなど真っ盛りの時期なのにどうも育ちがよくない。仲間に聞くと、この時季にしては、気温が低くお日様も出ていないためらしい。それは確かである。

 気象情報を見ていると、この「梅雨寒は31年ぶり」とか「日照不足は33年ぶり」といった解説に出会った。それほど異常な「梅雨寒」な気候なのかと驚いたり納得したり。

 33年前といえば、1986年(昭和61年)。31年前は1988年(昭和63年)である。この老人は、40代半ばのころである。サラリーマン社会では中堅から少しだけ抜け出したかに見える時期であるが、世の経済環境の波に乗れずに苦悩していたころと思う。

 1986年といえば、バブル景気の始まった年らしい。1988年になると青函トンネル瀬戸大橋が竣工した年である。一方で88年はリクルート事件も発覚している。このバブルの恩恵を受けることがなく企業業績は低迷を続けてしまった。

 そのころ、仕事の関連では「DCブランド」(デザイナー&キャラクター)がもてはやされ、中年世代も「渋カジ」が”かっこいい”と流行を取り入れていた。そんな時期だが、すでに「バブルに取り残され」た人生を歩み始めていたのである。

 なんか「梅雨寒」の野菜の気持ちが理解できそうな”30年前の想い出”である。