集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「改元」をひも解き楽しむ

 改元10連休」がマスコミで賑やかである。伴って天皇制に関する話題も広がっているようだ。なかで元号とか「年号」と「天皇」との関連の歴史をひも解くとなかなか楽しめそうであると感じた。「そうだったんだ」と教えられることも多い。

 正直「元号」などに興味はなく、どちらかというと西暦年号を使うことが多かった。むしろ書類作成の際に元号を強制されて困惑することが多かった。

 そんなため、古くを想い出しても明治、大正、昭和しか思い出せない。しかもそれぞれ何年続いたかなど手帳の裏を見ないとわからない。

 そこで、江戸時代最後の天皇について調べると「孝明(こうめい)」と分かった。この天皇は20年ほど在位したらしいが「元号」を何回も改めて使ったようである。例えば「安政」、「万延」、「文久」、そして明治直前の「慶應」などである。これを見ると天皇の名称とともに「元号」があったことがわかる。

 ところが「明治」になると「元号」と「名称」は同じになっている(平成も同じである)。これは明治元年(1868年)に「1世1元」を定めてからだそうである。江戸から明治に変わった明治維新に伴うものでしょうね。

 そうなんだ。ということは明治以前は天皇がある意味で自由に元号を変えることができた。反面天皇が変わっても元号を変えない時代(時期)もあったわけだ。天皇が4人も変わったのに「元号」は変わらなかった例もあるそうだ。「改元」時期も天皇が変わってから適当な時期を見てということが多かったようである。

 いまのように「改元」が賑やかなのはマスコミのせいだろうか。それとも「為政者」の振る舞いや思惑にあるのだろうか。そういえば1979年というから40年ほど前に皇位継承があった場合に限り」元号を改めるという決まりができたそうである。それも「政令」で決めるとなったそうだ。

 ここで登場する皇位継承とは、少なくとも明治以降は「天皇が亡くなったとき」行われた。ただ今度の「皇位継承」はいわゆ生前退位であり、専門家を含めて想定していなかったそうである。しかしその思いを「承認」した形をとったことになる。今後も事例として残ることになるだろう。

 天皇(皇族)には、庶民のような「姓」(苗字)がない。それでも何も不自由はないようだが、「後続離脱」のような「自由」が認められたなら「姓」も必要となろう。そんな心配をすることもないのだが~。