集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

人生100年時代だからこそ「健康」がいのち

 新聞広告のキャッチコピーに惹かれて現役のころ良く読んでいた週刊誌を買いました。注目したタイトルは「90歳?100歳?何がめでたい?」「思ったより長生き、で老後資産、完全破綻」というもの。雑誌の見出しを見ると「老人ホームで親子が同居」とか「老老老介護で孫まで悲鳴」(さんろうと読んではどうか)、「孫に介護されるなんて」、「健康はカネなり」ほかが続く。

 それほど単純ではないが、平均寿命が伸びて人生100年時代」と言われるようになった。ところが年金制度の設計は「60歳定年で、65歳から15年間年金生活する」というものであったために実際に寿命が伸びることにより生活費が不足することになる。定年後の年金生活「悠々自適」ではなくなる現実を様々な角度から解説している。

 それぞれに「なるほど、なるほど」とうなずくことになるのだが、考えてみると”悠々自適”の”富裕層”の人たちの老後生活を話題にしていることに気がついた。例えば「老後資金」3000万円といった解説を読むと、恵まれた人たちの話しということがわかる。一般庶民は「3000万円の老後資金」を準備できていないと思うのである。

 そうしたなかで、「75歳の老人が老人ホームに入っている100歳の親と同じホームに入りたい」(同居)ということが現実かもしれない。また「75歳の親と100歳の祖父母が介護を必要とする場合、孫が面倒を見る」といったこともありうることでしょう。さらに「一人っ子同士が結婚した場合、父母や祖父母が介護を必要とした場合どうするか」など事例は様々上げることができるだろう。

 遺産相続も同じである。相続しなければならない「遺産」が多ければそれだけに心配や不安が大きくなるだろう。一般庶民は「負担」をかけないことを心配するぐらいで済むというもの。

 そこで、死活的に重要になるのが「健康管理」であり、元気でいる間働き続けることである。また「相続対策」を悩むより「形のない資産」(つまり人とのつながりなど)を増やすことに今から力を注ぐことが大事であろう。庶民としてこのような”まとめ”に理解した次第である。