集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「食品ロス」身近なことから始めましょう

 いわゆる「食品ロス」がマスコミで話題のようである。貧困が身についている老人から見ると「どうしてなんだろう」との感想が強い。とはいえ様々な事例を知るたびに「生きるためにもっと身を引き締めてほしい」と思うこともある。 

 マスコミは、我が家の食卓のことから地球規模での飢餓状態までを取り上げながら「食品ロス」状態の改善・脱出を提言している。至極当然と思われる。その実現に期待したいものである。

 まあ、時代の進化とでもいうでしょうか「喰うものにも困る貧乏生活」を経験したことのない世代が増えてきたために「食べ物」を大事にする習わしが薄れてきた。それが大量消費とともに「残りものは捨てても良い」となってしまった。商売の仕組みもそれを当たり前とみなすようになった。 

 まず、家庭では「倹約」を旨として使い切ること。外食時は「食べ残さないこと」。万が一残った場合は「持ち帰る」ことなどを習慣とするよう心がけること。

 現役時代のころ、企業の接待宴会に同席したことがある。主催者が「食べ残しは容器に詰めて持ち帰ってください」と、食べ残しの大半を持ち帰った記憶がある。ホテルのパーティーなどでも「持ち帰り」を推奨してはどうでしょうか。おそらく「そんなことはできない」と言われると思うが、「どうしてできないのか」をお考えいただきたい。

 有名な料理店が「使いまわし」で批判を浴びたが、「残ったもの」の使い方または利用方法の仕組みをつくることも大事だと思う。レストランや食堂での「残り物」またはコンビニでの「在庫処分」、さらには大型スーパーなどの「在庫処分」などで残り物利用の仕組みを作り上げ、活用することが求められていると感じます。

 当方は近くの食品スーパーで「わけあり」果物を買うことがある。我が家で食する分には何の問題もない。ニュースで台風被害が伝えられると大量に捨てられるだろう果物や野菜が映し出される。可能な限り「わけアリ」製品として流通してはと思う。それを必要とする人やグループもあると思う。求められているのは「仕組みを作り定着すること」と思う。 

 まずは、身の回りからできることを「提案」し、「持ち帰り」だって普通のことなんだという「風習」を育てることだと思います。そうしたことをマスコミは取り上げてほしいものである。

 最近のプラシチックゴミのようにち粘り強く取り組んでみてはいかがでしょうか。