集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

路線バスは「積み残し」をなくしてほしい

 また、路線バスで積み残し(乗車拒否)に会いました。不愉快そのものです。

 「また」というのは、この1週間ほどの間に数回同じような事態にあったからです。きょうは16・30分ごろ。前乗りバスの扉が開いたのだが先頭の外国人が乗らなかったので運転手は扉を閉めてしまった。列の7~8番目にいた当方が乗ろうとしたが運転手は「次のバスをご利用ください」と発車した。

 同じようなことが2日前にもあった。その時バスは停留所に停車せずに通過してしまった。だがすぐ後から別のバスがやってきたので、数人は不満を言いながら後続バスで駅までたどりつくことができた。また、満員というバスが来たとき、運転手は中ほどの乗客に厳しく詰め合わせを促しながら停留所の客を前扉、後ろ扉から乗せてくれた。

 この路線バスは、駅から市立高校経由で車庫まで10停留所ほどを運行している。従って高校生の通学路線バスにもなっている。多くの中高生が利用していることは十分理解している。それがゆえに運転手の対応によって「積み残しがあってもやむなし」とは言えないのだ。

 中高生以外の客は、それなりに時間的予定を組みながら行動している。バスの時刻表は10~15分間隔である。簡単に「次のバス」と運転手は言うが、その待ち時間の「腹だたち」は尋常ではない。

 この間の例を見ると、会社の政策・方針というより「運転手の対応」により異なるということがはっきりしている。つまり、満員だから「乗車拒否(積み残し)」も可能と考える運転手かどうかということ。なぜなら「少し我慢しても、詰めて乗ってもらおう」そのためには「降車扉から、乗せることもある」と判断するかどうか。

 バスを待っている乗客にしてみれば、満員そうに見えても学生たちが譲り合って詰めてくれれば「積み残し」は防げること明らかである。運転手のアナウンスの姿勢や態度がポイントと言える。

 提案したい。バス会社に対して。積み残しを真剣に受け止め、学生の乗車制限を高校と話し合ってほしいのである。この路線バスは、終点の駅までの客がほとんどなんだから。高校に対しては、生徒が大勢乗っているために途中で客が乗れない事態が起こっていることを話し合い、車内での譲り合い・詰めあいを礼儀としてほしい。

 バス会社と高校がもっとバス事情について情報交換してほしい。運転手もいわば「おもてなし」を理解してほしいものである。

 高校もバス会社も「スクールバス」でないことを理解してほしい。