学校の話題が熱い。エアコンから校則まで。
もう9月だが、30度を超す暑さの中で子どもたちは悲鳴を上げながら勉強しているらしい。そこで大きな話題が教室に「エアコンを設置してほしい」ということ。エアコン設置は予算がないから、とりあえず「粉末のドリンクを用意する」ので暑さをしのいでほしいという市政が見えてきた。
エアコンの話題とともに、重いランドセルが様々に語られている。「置き勉」の良しあしもその一つである。学校に関わるそんな話をしていると話題というか問題が次から次へと出てくる。登下校の服装やうちわの持ち込み、ブロック塀の安全性、そして「ブラック校則」などさまざま。
そこで「ブラック校則」って何じゃ。老人とはほとんど関係ないことですから、そんな疑問も出る。一言で説明できないのが「校則」。例えば、スカート丈、髪の長さ、夏の服装、自転車通学の制限、通学途中の寄り道などなど。
校則は学校に任されているらしいから、余計にさまざまであるらしい。これらに対していまどきの生徒は「学校の評判を気にする」とか「進学、就職のために従った方が得策」といった風潮らしい。自主性とか権利など ほとんど出てこないようだ。
そこで識者のコメントを眺めながら考えたことは「国の打ち出した方策に従うことが無難」という若者思考の広がりである。
全国の高校などが荒れたのは1980年代。そのころから”暴れる生徒”を抑え込むことが練られたのだろう。今ではほとんど見られないらしい。文科省の政策に「指導に毅然たる姿勢」が折り込まれるなど、暴れる生徒がいたら校則に従い毅然と指導することが教師のあり方となってくる。この風潮が長年続くと、進学や就職に影響するらしいということで、自らを「拘束」する「校則」であっても”とりあえずやむを得ない”ということになる。
積み重なって「国の政策」などについても「従うことが得策」という風潮が広がってくる。それは保守政治家や高級官僚の狙いなのだろう。子どものころから決め事や「校則」で個人の自由や行動を抑え込む、規則に反したら不利益を被るそのような風潮を底辺からゆっくりと作り上げるということ。
そんなことをパズルを解くように考えてしまった。