集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

子どもの考える「平和」の意味

 8月は「平和」を考えるきっかけがいっぱいのようです。

 新聞によると広島の平和記念式典で子供代表が「平和の誓い」を読み上げたという。後半で「平和」について次のように表現しています。引用紹介します。

  平和とは、自然に笑顔になれること。

  平和とは、人も自分も幸せであること。

  平和とは、夢や希望を持てる未来があること。 

 高齢者は、戦争や争いがないから「平和」な世の中だと感じているように思う。そうだろうかと思い辞書で「平和」を調べると”争いや心配事がなく穏やかであること”とある。なるほど。

 子どもの考えている「平和」の方が具体的であるようにも見える。現実に高齢の当方の場合、日常的に「自然に笑顔」になれるだろうか。他人も自分も「幸せ」だろうか。そして夢や希望のある「未来」を描けるだろうか。確かに”身近”で戦争は起こっていないが、それで「平和」とはいえそうにない。そんな現実だろうと思う。

 誰かに「幸せか」と言われれば「そうです」と答えるだろう。しかし「本心はちょっと待てよ」が現実である。だから「自然に笑顔に」なれないのが現実でもある。ましてや「夢や希望の持てる未来」を手中にしたと考えるのは浅はかであろう。これらは自分自身のことである。

 やはり、私の人生「平和」ではなかった。おそらく、それは「貧困」や「格差」にたどり着くだろうと思う。いま現在も大きな課題である「貧困」と「格差」の”解消”に関心を向けて生きる老人である。