集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

朝鮮戦争のころ小学生だった

 朝鮮半島を分断した朝鮮戦争の休戦から65年が経過したとしてマスコミはいろいろと話題にしている。振り返ると、朝鮮戦争が始まったのは1950年6月。そして休戦協定が結ばれたのは1953年7月27日である。

 そのころ当方は、東北の山奥でほぼ自給自足の生活を送っていたが、父親が朝日新聞を購読していたので朝鮮戦争の現状を示す地図を見ながら「どちらが強い」のだろうかといった興味本位で南北の攻防を見ていた。何しろ戦争勃発時は8歳、休戦協定成立時は11歳で小学6年生だった。しかも山奥のことだから外国の戦争のことはまず話題になることはなかったといえよう。 

 そのころ新聞は半島の地図に矢印を大きく載せて南北の勢力状況を報じていたように記憶する。最近の新聞報道によると北側が釜山をも支配下に置いた時期があったということを知った。また、第2次大戦が終わってから北側をソ連(当時)が支配し、南側は米国が支配することになったなどの歴史的事実も改めて理解できるようになった。

 1953年7月から65年も過ぎたことし、米朝首脳会談が開かれた。その結果を手放しで喜べるかどうか疑問も残るが、分断されてきた半島の民族が統一されるかもしれないという期待が高まる。北の核兵器放棄、南北をつなぐ鉄道の開通、米軍死者の遺骨の返還などこれまでになかったいくつかの動きが具体化している。この動きに期待してやまない。 

 このような動きが加速し半島の民族が統一されたと仮定して、これからの地域的状況を考えるとものすごく大きな変化が起こるだろう。つまり、北朝鮮を仮想敵国としてきたわが国の平和構想を変えざるを得なくなる。人々も認識を改めることになるだろう。そうなることを期待している。