集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

生産性って~物やサービスに使うことでは?

 「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」。このような「ことば」が切り取られて大論議されている。一般に”先生”と言われる「偉い人」の言葉だけに見逃すことはできない。しかも、自民党という(その前は「次世代」だそうである)与党に属する人の思考というから、それを擁護する政党もほぼ同じ思考と考えてよいのではないだろうか。残念なことである。

 マスコミ論調はそれぞれあるようだが、当方が違和感を覚えたのは「生産性」という言葉の使い方である。浅学の当方は、「生産性」といえば経済学などの分野で、物やサービスを生み出すことに使われる用語と思ってきた。それを子供を産む(出産)かどうかに置き換えるのは、工場での人間ロボットの生産量と同じ意味で使っているように思えて仕方がない。生身の人間と工場生産される精密機械とを同じように考えていることになるので論外のレベルといいたい。

 メモするために「生産」について調べると「しょうさん=生産」という言葉もあるそうだ。これはまさに「しゅっさん」を意味するようです。先生は「しょうさんせい」と言いたかったとは、読み取れないのだから、引退をお願いします。

 新聞の中には、先生の思考を”援護”するような発言も見られるが、子供を産むかどうかについて「生産性」の言葉を用いる思考のレベルをも問うべきだと思う。