集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

『ものの見方・考え方』学習仲間が再開

 55年ほど前のこと『ものの見方・考え方』(文理書院刊)を集団学習していた際に講師を務めてくれた先輩を訪問する企画があり、先輩や後輩含めて11人で自宅を訪問しました。

 彼は、大学卒業後学校の事務職員を務めあげました。その仕事が終わってから週に1回ほど学習会に参加しあれこれアドバイスしてくれました。定年近くなりいわゆる「週末農業」を始めた模様です。そのうち今から15年ほど前のこと近くに”豪邸”を建設し、本格的に野菜作りに取り組んだようです(というのはこの間の模様を詳しく知ることができなかったため)。ところが、この4~5年の間、肋骨やら背骨、ひじなどの骨折が続き車いす生活の時期もあったようです。いまは、杖を必要としながらも車も運転し、達者な口答えをしながら老夫婦で生活しているようでした。驚いたのは食事量が極端に少ないこと。1食パン4分の1がほとんどとは、参加者皆が唖然としてしまった。でもやせ細っている感じはなく陽に焼けた精悍な身体と口調でした。

 豪邸といったのは、道路の角地に広い庭があり、しかも大きな池がある比較的目立つ2階建ての家だったからです。しかもとなりは赤い鳥居のある小さな神社(つまり、周囲が畑なので少しばかり小高い丘になっていました)でした。

 豪邸の前が畑で、トウモロコシ、落花生、おくらが生育していました。それでも3分の1ほどは草ぼうぼうでした。庭の耕運機もほとんど使っていない感じでした。この身体では無理のない話だろうと思いながら、お互いに言いたい放題の話をしながら40年ぶりの再会を喜び合いました。

 週末農業をしていたころの畑も案内しようというので車で移動すると、そこは畑ではなく「果樹園」だという。というのは、畑として手が回らないので”実のなる樹”を植えたそうである。だがそれでも手に負える状態ではなく、ほとんど放置してしまったらしい。いま夏みかんやレモンがいっぱい実っているが、誰も収穫することはなく、時間の経過を待つのみという。つまり何もかも放置したままであるらしい。

 その彼は、いま78歳で杖を突きながら畑仕事と詩吟などを楽しんでいるらしい。

 そんな彼を囲んで言いたい放題の空元気を飛ばした楽しい一日でした。

 《ものの見方・考え方》で老いの過ごしようもいろいろだと感じながらそれぞれが帰路につきました。