集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「ものの見方考え方」をテキストに

 晴れて大学の門をくぐることができた4月、新歓行事の呼びかけでサークルへ加入することになった。サークルの数はいっぱいあったが、どれも研究部を名乗っていたので当方は「ケイケン」という研究部に参加した。大学生として「資本論」を勉強できるといった高揚感があったことは間違いない。 

 研究部での学習活動が始まると、学校職員となったOBが講師として参加した。講師の説明に従いまず最初に選んだテキストは『ものの見方考え方』(高橋庄治著、文理書院)であった。テキストは5章に分かれており、5月初めからスタートし、第5章は7月ごろに学習しようという計画を建てた。

 実はこのテキストは、現在でも書棚に鎮座している。1968年4月21刷発行と奥付にあるので相当数の読者を持った人気の本だったようだ。定価は300円とある。当方は20歳を過ぎたころ文理書院が発行する雑誌『人生手帖』を時々読んでいたので、同じ出版社が出しているテキストに親近感を持ちながら学習会に参加することができた。

 さて、50年ほど昔を振り返るり、何を学習できたかと考えても思い当たることは少ない。初歩的な点で、理科や生物といった「自然科学」のほかに文学とか経済などの「社会科学」の分野があることを理解できたことが大きかった。経済学の『資本論』はまさに社会科学の分野にあるということ。その社会科学を「見たり考えたり」する視点とでもいうことをなんとなく教えてもらったような気がする。

 大事な点は「存在」ということだろうか。いま時点の公文書改ざんや隠ぺいに通じることがあるような気がする。それは「思うこと」「存在すること」との違いでもあるだろう。その延長線とも言える点で「理論と実践」がある。この「理論と実践」は今でも好きな”言葉”である。推論を実践で明らかにし、その繰り返しで一段と高い地点での経験を身につけることができる。人生経験の重みにもなることだろうと考えている次第である。

 大学1年次の想い出である。