集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

パーキンソンの兄が亡くなりました

 昨日昼前に兄嫁から、「入院中の夫が亡くなった」との電話が入った。兄は昭和13年生まれであるから80歳と言って良いでしょう。よく頑張った生きたなぁというところである。

 兄は、当方が集団就職した春に地元の高校を卒業し東京の町工場に就職した。その工場の仕事は長続きしなかった。転職を重ねながら結婚し、60歳過ぎまで働いた。そのころ福島県の嫁さんの実家近くに家を建てて夫婦で移住した。それからしばらくしてときおり動作に変化が現れるようになったそうである。後に「パーキンソン病」に侵されていることが分かったらしい。病状は徐々に進展し出かける折には付き添いが必要になってきた。2年ほど前に隣の市立病院に入院することになり、幸いにも集中治療室に入ることができた。この8月末には医師から「危篤状態」と判断され、当方も見舞ってきた。それから1ヵ月も頑張ったのだから、持って生まれた生命力を使い果たしたのだろうと思う。

 兄は、親の勧めで地元の高校に入学し、下宿生活をしながら卒業した。その生活模様を聞いてきた当方は中学3年生になってから「とても貧乏な下宿生活などできない」と進学を断念して集団就職を選んだのだった。

 それにしても「パーキンソン」という病は厄介なものらしい。早く治療方法などが見つかり病から救われる人の登場を望みたいものである。同時に10年前後献身的に付き添ってくれた兄嫁に感謝したい。ご苦労様でした。感謝です。