集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

戦争体験を聞く会で懇談

 かねがね企画していた「戦争体験を聞く会」が10日地元で開かれ、主催者の一人として参加した。夏になると、あの悲惨な戦争が終わったことが様々な形で話題になる。そんなことを「地元で話題にすることができればよいなあ~」と周囲に話していると ようやく実現することになった。

 「戦争体験」というと、ざっと80歳を過ぎた方となる。そう言う方は話し好きでもある。話し好きの方に思いきって話してもらうのも良い。そんな思いもあった。

 きょうは、近隣から20人ほどが集まった。お願いした報告者は80代後半の方2人。参加者には93歳の方もおられた。前半は体験発表、後半は質問や意見交流という進行だった。戦争体験を記憶している方は、少年少女時代の勤労動員や疎開生活、爆撃の模様などを話してくれた。男性は「8月15日が入隊日だったので集合場所に行き訓示などを受けているうちに昼頃になった。すると臨時ニュースが放送され戦争が終わったことを知った」という。それが現在まで「生きのびてきたこと」だと話した。

 それを聞いていた若い人から「祖父は8月15日に戦地に向かっていたが、到着直前に戦争が終わったことを知らされて生き延びたという。それでいま私がここに参加できた」と感想を話していた。

 90代の男性は、いろいろな体験を話した後「どんなことがあっても戦争はやってはいけない。生きている限り戦争の準備には反対していく」と決意を話してくれた。また戦後の配給制度との関連で「米穀通帳」が話題になった。90代の男性は「1日2合5勺ですよ。1食分ではないですよ」と強調された。戦時中、戦後の食事事情も関心深い話題であった。

 地元での初めての試みでありどのように進展するかわからないが「戦争体験」を語り継ぐことを継続してゆきたいものである。