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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

栃の木の花で想い出すトズめし

 

 住宅地の脇にある小さな公園に数本の栃の木があり、いま赤い花が真っ盛りである。花が咲いていることを見ると秋には実がなるのどろうと思うが栃の実を観た記憶はない。なんか不思議のような気がする。

 公園の樹が「栃の木」であることを知ったのは3年ほど前のこと。赤い花が目立つので近所の人に尋ねている間に「栃の木」であることが分かった。そのことから子供のころに食べていた「栃の実」を想い出した。それと、子供のころに栃の木の花を認識した記憶がない(ごく当たり前の自然の移り変わりと見過ごしていたのだろうか)。

 子供のころというのは、1955年(昭和30年)ごろ以前のことである。その頃は我が家には電気は届いていなかった。照明は灯油ランプであった。夜の食事時間になると灯油ランプの下に4世代の家族が揃って銘々膳で静かに食事を済ませるのが習わしであった。

 食事は、稗と麦のご飯に山菜の味噌汁がほとんどであった。米を食うことは珍しいことであり、せめて押し麦によりご飯を少しだけ白く見せるのがぜいたくでもあった。同時に時には「シダミ」(コナラの実)や「トズめし」(栃の実)が出ることもあった。木の実を食べることは珍しいことではなかった。胡桃はぜいたく品で正月に粟餅に付けて食べるときが楽しみであった。栗の実は、ときおりぜいたくな栗ご飯として食べたほか子供のおやつでもあった。ほかに渋柿、スグリ、ばらイチゴ、桑イチゴ、サクランボなどが自然のままの果実であった。

 その中で特別なのはシダミとトズ(栃の実)だろう。シダミは鍋で煮ると黒くなり、それに黄な粉をかけて食べるのが一般的だった。ただ口の中が黒くなり食べ終わったら口回りに気を使ったものである。栃の実は食べるまでに手間がかかった。灰汁抜きに時間をかけてあんこのように練って食べたような気がする。決しておいしいものではなかったが、稗めしだけの日常に変化が出るということがあったように思う。

 いま「栃の実」は菓子類に使われているようだが、子供のころの調理では食べることができないだろうと思う。だからこそ、当時がいかに自給自足に近い生活であり貧乏のどん底生活であったかを想いおこすことになる。 

写真上は栃の木、下は栃の木の花

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