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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

映画「母」を鑑賞しました

 2月28日、知人に誘われて映画「母ー小林多喜二の母の物語」を鑑賞しました。ストーリーも演技も素晴らしかったが、それよりも驚いたのは立ち見の人があふれるほどで主催者は急きょ上映回数を増やすことを発表したことだった。この人気ぶりは何なんだろうか。

 タイトル通り、小説「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家・小林多喜二(1903~1933)本人ではなく、彼の母親セキさん(1873~1961)の生涯を描くのが内容である。*映画でセキさんの生没は定かでなかったような気がするので当方の推定である。

 セキさんは、秋田県の片田舎に生まれ、15歳で小林末松と結婚する。幼い子供らを連れて家族で北海道小樽市に移住する(1907、多喜二4歳の時)。小樽では菓子屋を営み生計を立てる。そのころ、腹を空かした子供らが時としてパンを無断で持ち逃げすることがあったらしい。だがセキさんは「仕方ないこと」と子供等を責め立てることはなかったらしい。

 そのような家庭で育ったせいか多喜二ら兄弟は一生懸命に勉強し、多喜二は大学を卒業し地元の銀行に勤める。学生のころから小説を書いていた多喜二は社会主義思想に傾倒するようになり、銀行員としてもその志を持ち続けた。特高が銀行まで押し掛けるなど多喜二は退職に追い込まれ、小説家を目指して上京(1930)する。

 このころは、第1回普通選挙(1928)が実施されるとか、いわゆる3・15事件(共産党大検挙)が発生した。そして1931年には満州事変が発生する。多喜二が「蟹工船」を発表したのは1929年とされる。そんな中1933年2月、治安維持法特高に逮捕され、その日のうちに拷問、虐殺される。

 このころセキさんも東京で生活していたが、遺体を前に「警察は人を殺しても許されるのか」と怒り悲しむ。この気持ちは人間に共通するものと胸に突き刺さった。幾多の悲しみを背負いながら、娘の勧めで教会にも顔を出し、晩年を迎える。 

 母を演じたのは寺島しのぶ。多喜二は塩谷瞬、他に佐野史郎徳光和夫らが出演していた。監督は高齢の山田火砂子。原作は三浦綾子

 この日の上映会は、午後と夜の部の2回、400人収容のホールで開かれた。当方が到着したときすでに満席で、やむなく通路に座り込んだ。それでも客は押し寄せたため主催者は、2回上映予定のところ3回上映を決断したとアナウンスし、あふれた観客を鎮めていた。

 これだけの「母」の人気の背景は何なんだろうか。時代背景を身近に感じている人が増えているであはないだろうか。そんな感想を知人に伝えた。