集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

自転車走行、車道はなぜいけないのか

 自転車走行に関するきょうのできごとです。

 買い物のために大きなスーパーに自転車で出かけました。地域事情から車1台がやっと通れる道幅を利用するのが便利なところです。この道路は国道から横に入ったいわば抜け道の感じです。ところどころでヒョウタンのくびれのように道幅が狭くなる個所があります。

 たまたまきょうは、そのヒョウタン首を自転車走行中に後ろからくる車にクラクションを鳴らされました。おそらく”車道走行は危ないよ”といったクラクションだろうと思いますが、当方は腹立たしく思い「この野郎!」と声を荒立ててしまった。運転手の年齢・性別は確認できなかったが、車の通る道を自転車走行しては危いよと警告したつもりかもしれない。なぜいけないのか?

 しかし、この道の事情をよく知っている当方にしてみると、ちょっと先の信号のない5差路交差点は、歩行者・自転車・クルマともに慎重確認しながら通行せざるを得ない地点であることを承知しながら走行している。なのにクラクションで警告するとは何事か。車自体が慎重運転してほしいと警告したいほどである。

 また、学校近くの公園脇の道路には通学歩道が設けられている。歩道と言っても側溝にコンクリ板を乗せた程度のものである。たまたまジョギング中にこの歩道を自転車がやってきた。当方は当然ながら藪側に身を寄せて自転車走行を見送った。

 おそらく自転車利用者は、車道走行は危ない感じがするので歩道を優先したのだろうと思う。学校付近だけに狭い通学路の自転車走行をとがめることもできないのが現状ではないだろうか。

 標語「自転車ものれば車のなかまいり」を読みながら、自転車走行の立場を考えている。考えこむと”夜も眠れないくらい”である。