集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

原発事故の賠償を利用者転嫁は許さない

 朝日新聞5日付の「ザ・コラム」が「原子力の費用負担 未来へのツケ説明できるか」の記事を掲載した。興味深く読んでいて、とても落ち着かない「イライラ感」を覚えた。許せない。誰がどのような説明をしようが俺は許さない。

 あの大震災で福島の原発が爆発を起こした。放射能をまき散らしたために住まいを追われ、いまもって帰れない人々がいる。

 昨年末には福井県にある「もんじゅ」(高速増殖原型炉)の廃炉が決まった。廃炉というが「炭を焼いていたカマをやめる」のとは違う。失敗したのだからこれまでの投資経費をどのように評価するのか。それだけでなく「核燃料のサイクル」構想をどのように評価するかなど様々な問題をはらんでいる。

 ところが、これらの取り返しのつかない費用、またはこれからの被害が増えるだろう賠償経費などを電気利用者に負担させることを政府が決めたらしい。 

 とんでもない、誰がどのように手を尽くして説明しようが俺の理解を超えている。許すわけにはいかない。政治家とか経営者と言われる人たちを許せない。どうにも許せないのだ。