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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

沖縄の基地~勉強すればするほどヤバイ

 沖縄の基地をめぐる問題が”熱い”ようである。

 沖縄の東村高江で新基地建設が強行されているが、それに反対する住民に対し本土から派遣された警察官が「土人」と悪罵を投げつけたことが大きく報道された。担当大臣の擁護発言まで問題になり波紋を広げている。

 もともとは、この地域にある米軍北部訓練場の約半分が12月22日に返還されることに始まる。但し返還に関しては、返還地域は老朽化しているので新しい地域に新鋭機オスプレイの着陸帯を作るという条件が付いていたことが問題である。この未返還地域は貴重な自然資源が豊富で軍事基地を作るよりも環境保護区域に指定されるべきである。それを為政者は沖縄・住民に有無を言わさずにオスプレイ基地を強引に急ごしらえしている。

 新基地に伴う自然破壊のほかオスプレイのまき散らす騒音も被害を出しているらしい。それらが辺野古の海上埋め立て基地建設とも重なり合って、沖縄県民だけでなく本土の米軍基地反対勢力も加勢して反対運動が盛り上がっている。

 朝日新聞・社説(11月27日付)も返還は良いにしても「基地機能の強化が進む」と懸念を表明した。また返還されたとしても基地全体の71%(これまでは74%)が沖縄に残されるという現実に向き合い、負担軽減を県民が実感できるようにすることが政治の責任だという。

 沖縄復帰は1972年5月15日。来年は復帰45年になる。

 当方が夜間大学(二部)に入学したのが1965年4月だった。入学と同時にサークル(研究部)に加入したが、学生生活も落ち着いてくると様々な運動が繰り広げられていることに気付くようになった。その一つが「沖縄を返せ」という復帰闘争である。2年次になると沖縄出身の男子学生がサークルに加わり現地の様子を生で聞くことができた。まさに彼は日本語を話す米国籍の人間でドル通貨で生活していた。大学へはビザを取得して来たわけである。そんなこともあり翌年には「沖縄問題」を研究テーマに掲げて、数人が彼の案内で沖縄調査に出かけた。もちろんビザ発給を受けての合宿であった。

 その後いわゆる大学紛争に巻き込まれて4年次は講義さえまともに受けられない状況が続いた。それから3年経過して「沖縄」は祖国復帰を果たし「沖縄県」となった。

 50年ほど前に「沖縄を返せ」の歌を歌いながら返還闘争に参加した熱い気持ちを想い浮かべながら、改めて”沖縄の基地返還”に向けて心を一つにして行動したいものである。共に頑張ろうではありませんか。