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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

卒業作品集『寒夜』をめくりながら

 夜間定時制高校を卒業したのは昭和40年3月(1965)。先の同期会で「お前はA組だったよね。B組だったかな~」といった話が行き交った。それに答えられる卒業作品集『寒夜』が見つかった。

 これはB組(いわゆる進学組)の担任ヤマモト先生(定時制高校卒業したうえで教職に就いた)が謄写版で手作りした”クラス別名簿・作品集”である。先生は、宿題の形で俳句とか短歌を創作するように指導していた。もちろん頭をひねって作品を提出した者もいれば、とうとう創作を渋って提出しない者もいた。それでも先生は、卒業に当たり作品なしで氏名だけは掲載しようと考えたらしい。だから卒業時の「クラス別名簿」と言えるわけです。

  早朝のコトコトと鳴る包丁に何やら作る母1人起き

  100点を狙ったつもりが15点

  会社では忘年会とクリスマス僕はひとりで試験勉強

  大晦日こたつ囲んで年明かし

  今となればたのしき4年の月日かな

  道ばたで行き交う人よ母来ぬか

  岸壁に我一人立ち空を見る星に向かって母と呼ぶなり

  行く道は真直ぐなれど人生は溝あるごとくそれてゆくかな

 などなどである。

  恥ずかしさをかなぐり捨ててわが作品を再現すると

  「地に立つ学び舎巨きく黒く聳え立ち夜空眺めば満月一つ」

 当時の心境としては、大学受験にも挑戦し気持ちの上では高揚していただろう。しかも新築なった4階建ての大きな校舎で学べたことに誇りみたいなものを感じていたはずである。ところが今思うと「立つ」が2か所、黒く見えたはずなのに満月が照らしている。その満月が一つとは、当たり前のことではないか。これは”創作品”ではなく単なる”文章”としても「馬から落ちて落馬」に似たものでしかない。恥ずかしや恥ずかしや。

 作品集『寒夜』を同期会幹事に送ったところ、冒頭の作品「早朝のコトコトと~」が一般新聞に掲載された作品に似ていると教室で話題になった記憶があると連絡してくれた。当方には全く記憶にない話である。ただ作品集に目を通しながら「もっとも出来栄えがよさそうな作品」と感心していた。

 同期会参加者20名ほどに作品集を送ることにしているので、様々な想い出話が返ってくるものと期待している。感謝。感謝。