集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

60年前の話題で盛り上がる同級会

 8日(土)正午から東京で、わが故郷の中学校を卒業して関東圏で生活する者の同級会が開かれた。参加者は9人で、欠席者は5~6人だった。この会合はほとんど毎年開かれているが、他に1年おきに郷里でも開催している。郷里では20人ほどが集まるうえ継続していることが話題でもあるのだ。

 昨日の参加者の顔ぶれを見ると、男5人、女4人。男性一人は現役の商店主。ほかにパート仕事と畑づくりが1人。ほかは年金暮らしと孫の世話が楽しみな男女ジジ、ババたちである。欠席者の1人は、孫の運動会のためであった。もう一人は親戚の不幸ということであった。さらに中学時代には最も健康的な身体が印象強かった彼は、術後の体調不良が欠席理由だった。ほかにも健康状態を理由にする人がほとんどである。つまり参加できるということは比較的健康状態を保っている人ということもできる。

 当方は昨日、同級生クニヤの印象が強く、彼と思い出話を重ねた(づなった)。当方は中学校まで山を越えながら片道2時間かけて通った。もちろん当時電線は引かれておらず電灯もラジヲもなかった。クニヤは村の中心地にある鍛冶屋の息子であった。この地域では3年ほど前から電気が使えるようになっていた。だからクニヤは大相撲の実況放送をラジオで聞いていた。彼は学校に来ると機会あるごとに横綱相撲の模様を実に見事に再現して注目の的になっていた。横綱鏡里とか大関・松登のころだった。ラジオ放送を聞いたこともない当方は”関心し驚くばかり”であった。

 そのクニヤは、勉強するよりもよく動き回り”しゃべりながら笑わせる”ことが得意だった。中学2年生の時だったと思うが、音楽の時間にクニヤたちが新任女性教師の言うことも聞かず音楽室で騒いでいると、とうとう先生が「泣き出してしまった」。その模様を話したがほとんど記憶がなかった。

 同級会の帰りにみんなでカラオケ店に入った。歌うのは男性のみであったが、クニヤは随分と古い流行歌を歌っていた。やはり当方の頭の中には「音楽の時間に先生を泣かしてしまった」人のイメージが渦巻いていたが、少年時代を60年も引きずる自分が恥ずかしくなってきた。

 セイジは3年生のころの学芸会で独唱を披露したことがある。その声量は今でも引き継がれていることをカラオケ店で確認できた。あの商店主も故郷思いが強いのか”童謡”を多くリクエストしていた。中学時代3年間の性格がそれぞれ見え隠れするひとときが楽しい1日だった。