集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

夜間大学2校を受験

 記憶が定かではないが、当時は年が改まってから受験申込みしたと思う。そのころ東南アジアの問題が話題でもあったために「東南アジアの歴史」を扱う学部を選ぼうと考えたが、資料を検討しているとほとんどが「中国の歴史」が中心であったためにあきらめて「経済」に切り替えた。そのうえで通学距離などから御茶ノ水周辺の大学を選び願書を提出した。

 受験日や入学手続きなどの重複を考えながら受験すると、運良く2校とも合格した。さてどちらを選ぶべきか迷った末、同じように夜間大学で勉強している先輩に相談することにした。彼は良く知らない人だが霞が関の官庁に務めている人で御茶ノ水の大学で勉強している人だった。電話で「二つの大学に受かったんですがどちらが良いでしょうか」と相談すると、考えることもなく「それは◎◎にした方がよい」という答えであった。そのアドバイスに従い「◎◎大学」の経済学科へ進学することになった。

 20代初めのころの新たな船出であるが、そんな選択があってこそいま現在があるということだろうと納得している。