集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

「ホセ・ムヒカの言葉」に学ぶ

 少し前にマスコミをにぎわした「世界でもっとも貧しい大統領」ホセ・ムヒカの言葉をまとめた『ホセ・ムヒカの言葉』(双葉社)を知人からいただいた。感謝しながら読んでみると、そのほとんどが貧困と格差をなくすためにどのように生きるかといった内容である。これほど人々に感動ある言葉を投げかけることはできないが”集団就職者”の1人としてうなずきながら読むことができた。

 すでにあちらこちらで話題になった『貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』というのは「物はなくとも心は豊か」に共通すると思う。それで過ごせるかと言われると自信がないが人生観として共鳴できる。

 改めて「なるほど」と感心したのは次の言葉である。つまり『消費が社会のモーターになっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済がマヒし、経済がマヒすれば”不況のお化け”がみんなの前に現れるのです』。これは「わが国のいま」私たちの日常生活と同じことを言い表したことだと思う。しかしながら消費の力を強めることを誰もが当たり前のように推奨するのが現実である。それによる経済の危機や地球資源の危機などはそれほど検討材料にならないのがいまふうのようである。立ち止まってもっと真剣に考えてみたいものです。

 もう一つは『発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません』。発展とは「勢いや力が伸びること」であり「都市の発展」とか「交通機関の発展」などのように使われます。この「発展」も誰もが良いことだと信じているといってよいと思います。それが現実には人々の「幸福を阻害」しているとしたらどうでしょうか。発展は良いことだとは言えなくなります。発展と不平等格差が一対となって襲い掛かっているのが現実の日常ではないでしょうか。

 いずれも、日常社会の現実について正直に投げかけた言葉だと思いました。それが世界の人々を感心させたに違いないと思います。

 似たようなことばにマータイさんの「もったいない」がありました。でもいまこの言葉はどうなったのだろうか、気になります。