集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

給食費月800円で完全給食 

 新校舎落成記念式典が高校創立15周年と合わせて1963年12月5日に新校舎で行われた。その時すでに校舎は使用されていた。実際に全日制の新1年生たちは勉強していたし、後期からは定時制のための完全給食も実施されていたのである。

 完全給食についての模様を伝える当時の学校新聞を見ると、9月に入ると栄養士ほかの作業員が着任し、他校見学などを重ねながら独自の給食を組み立てたとある。新築校舎だけあって「他校にも例を見ない設備」を備えて後期から給食はスタートした。

 当時の給食費は生徒負担が月額800円だった。これが「高い」とする声もあったが73・6%は「現在と同水準か安い」と感じていることもわかった。給食時間は25分間であったが、大方この時間内で給食が終わった。ただ生徒数の多い1年生は時間内に手際よく終わることは難しかったようである。

 3年生の当方にとっては、日替わりメニューに不満もなく給食を楽しんでいた。

 栄養士さん他とクラスの給食係の人たちに感謝である。