集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

『舎監』せんせい~の集団就職者は恵まれていた

 昨年の夏『舎監せんせい』ー集団就職の少女たちと私ー(鈴木政子著、本の泉社)が出版された。ようやく入手できたので一気に読み上げた。登場する集団就職者は、東北、北陸出身で、世代も私とほとんど同じであり、ページをめくるごとに同じような光景が頭の中を駆け巡る。

 登場する主役は著者本人と集団就職者たち。著者は1934年生まれで大学を卒業すると集団就職者たちの寮の「舎監」(管理、指導など)になる。そこで集団就職者たちと寝食を共にした4年間の記録が大きな柱である。同時に「舎監」を離れてからの結婚や書店経営を含めた自分史でもある。

 登場する集団就職者は1944年生まれの少女たち。もちろん寮には男性も住んでいるし、少女たちの先輩後輩たちも大勢が共同生活している。そうした中で1944年生まれの少女たちが「せんせい」の担当であったという。そして彼女たちが大人になり老人の域に差し掛かった近年でも交流が続いているという話である。

 当時の集団就職者は、都会の商店や零細企業の町工場などの求人にこたえるために採用された制度でもあったがとりわけ少女たちは制度の整った大企業の工場などに就職した。『舎監』に登場する少女たちは大手電機会社のトランジスタ工場へ就職した。寮も拡充され600人以上も共同生活したというから同じ時代でも町工場の環境とは比較にならない。

 工場は2交代制で稼働していた模様で8時間労働も実現していたのだろう。門限はあるものの自由時間も保証されていたろう。次第に通信教育から高校教育も導入される。受講しようと思えば入学でき、さらに将来を夢見ることもできたはずである。居住空間にしても12畳一間に6人生活というのは町工場とは比べられない。

 同じなのは、中学校を卒業したばかりの15歳の少女たちが親元を離れて生活する”さみしさ”である。そして都会で見る物の新しさであるし、それらへの憧れでもあったろう。時として門限を過ぎて寮に戻ることもある。規則は規則だが、厳しくするだけでは明日の労働力が満たされないのも現実だったろう。そこに「舎監」の気分や対応が心として通うわけだ。

 当時の少女たちと著者の「舎監」とは近年も交友がつづくという。実は私も同級生たちとの交友では負けないだろう。15歳で集団就職したがその後に首都圏に生活の場を得た人たちを含めてほとんど毎年交友の場を設けている。時には郷里で生活する人たちとの交友が郷里で催されることもある。その場に高卒で教師になった先生が登場することもある。こうした交友を先輩や後輩たちは羨ましがっているらしい。定時制高校の卒業生も2年に1度ぐらい同級会を開く。この同級会についても先輩や後輩から羨ましいとの声が聞こえてくる。夜間大学を卒業したサークル仲間(先輩後輩)も1年おきに総会を開いて交友している。きっと生きることの楽しさの交流でもあると思っている。

  本の泉社  http://www.honnoizumi.co.jp/