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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

夜間高校へ4年遅れの進学

 通信教育仲間たちと交流する中で夜間高校へ進学できることを教えてもらった。それでもどのようにすれば入学できるか暗中模索の日々が続いた。ある時都立高校が夜間定時制の生徒を募集していることを知った。印刷工場のある場所から通学するためには近いほうが良いと考え、隣の区にある高校に狙いを定めた。

 2月の末だったと思うが雇い主の了解も得て、仕事が終わってから応募書類をもって学校を訪ねた。職員室を訪ね「応募書類を持ってきた」ことを告げると、なぜか女の職員が出てきて建物の外に連れ出された。書類を手渡して試験日などこれからの手続きについて聞こうと頭に描いていたのだが、職員は「わかりました」と答えるだけで、特別に説明する模様はない。私は不安になり「試験日はいつなのですか」と質問すると彼女は「試験?。ないよ。そのうち通知が行くから、それを見て来なさい」。それでも不安でいろいろな手続きがあるのではないかと質問したが「まあ、入学できますから、来なさい」というのみだった。随分と頼りない人だなあと思いながら”入学許可”が得られたことを信じて引き上げた。工場に帰り先輩には「なんか試験はないようです」と説明したことを覚えている。

 結局3月13日午後5時から学校で入学許可者が発表された。16日に合格通知が届き、入学金を納付するために15分ほど繰り上げ退社して学校へ行き手続きを終えた。こうして中学校卒業から4年間の空白期間を置いてともかく高校普通科教育を受けることになった。ちなみに願署受付で出合った女性は、入学すると教師として登場したのだったが名前を思い出せない。今でも「なぜ、建物の外での話し」だったのか不思議に思う。

 当時この高校は、木造2階建ての区立中学校の校舎を借りて夜間定時制高校を開設していた。そして定時制高校を母体にして、私が在学中に全日制の都立工業高校が新設され、4階建ての近代的な校舎に生まれ変わった。同時に定時制でも工業課程が新設された。その時の新設校舎はすでに建て替えられたそうである。