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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

3年ぶりの帰郷

 印刷工場に転職し、先輩職人の手伝いをしながら得意先へのあいさつの仕方や電話での応対などを身につけるようになった。印刷前の組版を間違えて解版して怒られたのも成長への経験であった。

 その年の正月休みを利用して約3年ぶりに帰郷することになった。集団就職する際に親戚を回って餞別をもらったこともあり、改めてのあいさつ回りが礼儀というもの。そんなこともあり列車代以外にも費用は掛かりそうであった。どう工面するかが悩みの種だった。

 日程は、12月30日午後工場を出発、1月5日早朝に工場に帰着する予定で、上野駅から急行列車に乗り込んだ。翌午前中に郷里にたどり着いた。家族の出迎えもにぎやかであった。

 当時の経費を見ると列車代は片道(急行料金含め)1580円となっている。今ではとても考えられない料金であるが、1月4日発の上り列車は超満員で約12時間立ったままで上野に到着したことを思い出す。あいさつ回りのためにタオルを買い込んだが13本で430円であった。父と祖母には100円の手袋を土産とした。学校に通っている甥や姪にはクレヨン(100円)や鉛筆(1ダース55円)などを土産とした。結局交通費を含む総支出は15804円(オーバーコート6400円ほかの身の回り品を含む)であった。随分と高価なコートを買い込んだものと思うが当時の事情は思い出せない。

 これに対する工面の結果は、▽貯金払い出し4000円▽11月、12月給料と賞与合わせて13000円▽雇用主の列車代ほか先輩職人からの援助5500円▽郷里での餞別1500円、合わせて24000円を計上した。収入が経費を上回ったが、そこから500円のズボンを購入したほか先輩職人からの借入金返済に充てて、残額は3000円余りとなった。