集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

新会社初月給は6000円

 直営工場が改装されると社名が新しくなった(これは倒産ではなく工場の独立だったろうか)。いずれにせよ1月28日が新しい会社での初めての給料日だった。

 初月給は6000円。食費2500円と社会保険料333円を引かれて手取り給料は3167円だった。採用時が4500円だったのが2年もたたないうちに6000円になった。まさに中卒者は「金の卵」だったのだろう。また景気も上向いていたのだろうと思う。

 しかし、私の気持ちは転職に舵を切っており新聞に掲載される3行の求人広告を読み比べながら広告主を訪ねてその場で採用をお願いした。転職先の月給は食費込みで4500円(手取り2000円)だった。心機一転がんばるぞの決意であった。