集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

初めての新年会

 2年目の正月(1959年1月)2日、東京近辺に就職した同級生のみで新年会を開いた。会場は同級生の女子が就職した鎌田のベーカリーショップ(パーラー)。参加したのは同級生10人と1つ下の男の子の11人だった。集団就職した男の子1人は連絡が取れず欠席した。ということは丸2年以内に転職したということを意味する。

 この時の会費は500円だった。手帳に会費内訳がメモしてあるので紹介しよう。

 サイダー、ジュース  各40円

 みかん        100円

 刺し身         50円

 かつ          50円

 肉団子        100円

 寿司         120円   合計500円 

 この価格は、普通のメニュー価格だったろうか、それとも店主のサービス価格だったろうかわからない。というのも食事が終わると店主(女子の雇用主)から、タオルをお土産にいただいた。今考えると、みかんが何個付いたのか忘れたが少しばかり高いような気がする。16~17歳の同級会としては奮発したような気がするがどうだったろうか。

 この同級会がきっかけとなって、それ以後ほとんど毎年誰かの呼びかけで、どこかで同級会を開いて今に続いている。当時の名簿を見るとすでに4人が他界している。それだけ年季を重ねたということだろう。友のご冥福を祈る。