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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

就職先は縫製工場

 就職先は、東京の高円寺にある紳士服縫製工場だった。この工場の本社は神田近くにあり百貨店などに自社ブランドの紳士服を納品販売していた。その直営工場であった。

 当時従業員は責任者を含め11人(うち住み込み従業員6人)ほどの規模であった。その工場に中学新卒男子8人が一気に採用された。本社でも高卒者を数名採用していたから会社としては拡大基調にあったのだろうと推測される。

 勤務時間は定かでないが午前8時から午後6時までだったと思う。住み込み生活だから6時ごろ起床し、まず工場内の清掃が日課だった。朝食が終わると作業準備をし、始業時間とともに動力ミシンがうるさい音を立てて動き出す。ガスアイロンが熱くなっていた。昼休み時間を挟んで夕方まで懸命に仕事に打ち込んだ。しかしその後も残業が頻繁にあった。終わるのは9時ごろだったと思う。

 住み込みといっても少年たちの寝る場所は6畳1間だけであり、先輩は作業場のアイロン台をベット代わりにし、あるものは押し入れに布団をしいて寝るありさまだった(責任者夫婦と年配の女性は2階に住んでいた)。それでも新卒者8人と3歳上の男子先輩2人は学校の延長みたいにワイワイと騒ぎながら日々を送った。

 当時の給料は、確か月額4500円で、食費を差し引かれて手取り2500円だったと思う。それでもまだ良いほうだったように記憶している。休日は隔週日曜日。いわゆる月2回であった。

 就職して初めての作業は、”しつけ”という縫い方を覚えることだった。何日も6畳の和室で布地と針を相手にしつけ縫いを練習した。同時に先輩たちの作業の手助けが日課であった。のりを使って布地を貼り合わせるためにアイロンの底が汚れると外に出て土にこすりつけて滑りをよくする、そんな仕事もあった。そのうちにアイロンがけを教わり縫い付ける前のポケットの形を整えるとかズボンの尻に当たる部分を伸ばす作業も多くなった。