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集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

なぜか?同級会、同窓会が続く

梅雨期のような雨、曇り空が続いている。こんな時期に同級会やらサークルOB会の案内が届く。みんなもう高齢者だから毎日が休日間違いなしだろう。少し涼しくなるから企画しようなどの発想かもしれない。 10月8日(土)は、中学校を卒業し関東圏に就職した…

野蚕通信ー糸を吐く昆虫は無数

野蚕(ヤサンと読む。ワイルドシルク)について、日本野蚕学会会長の赤井弘氏は『野蚕糸の知識ABC』で次のように解説している。 「糸を吐く昆虫は地球上に多数生息し、大小さまざまな繭を作り、それから生糸や紬糸を作ることが可能」である。「自然界に生…

野蚕通信ーヤサンって何だろう

野蚕=ヤサン=って蚕のイメージが浮かぶけど何のことだろうといった疑問があるでしょう。わが国で「野蚕」というのは欧米では「ワイルドシルク」として定着しています。合わせてイメージを膨らましてください。 まず「カイコ」は、桑の葉っぱを食べて成長し…

野蚕通信ー介護活動に蚕の飼育を導入

朝日新聞9月9日付けに「かいこ 飼育で介護」の記事が掲載された。 東京都世田谷区にある老人ホーム「夢のみずうみ村新樹苑」が試験導入するという内容。 構想によると、「希望する高齢者の自宅に、蚕の幼虫と飼育箱、鉢植えの桑を届ける」。高齢者は自宅で…

野蚕通信~東京農大・オープンカレッジ

ワイルドシルク=野蚕=について幅広い知識が得られる東京農大のオープンカレッジが9月24日(土)から「機能性繊維”シルク”の広がり」の講座名で4回開講する。 この講座は東京農大とワイルドシルク協議会が協力して開催するもので、シルクに関心を持つ人…

路線バスへの苦情 

年寄りのつぶやきである。 パート仕事で時々路線バスを利用します。その一部が駅から市立高校経由の路線です。この高校は数年前から中高一貫校へと変わりました。したがって通学生が以前より増えたといってよいでしょう。 そのこともあって、ときおりバスの…

高齢者のパート仕事も忙しい

パート仕事も忙しい。それはある意味で人材不足ということになるだろうか。 当方のパート仕事は、午前の4時間が基本だが、他に午後4時間の仕事もある。 先に求人募集したところ、毎日終日仕事したいという60代の人が応募してきた。休暇者の代行や午後の…

40年ほど前の靴下の話し

午前中4時間のパート仕事に精を出す日々ですが、靴下には随分と気を使っている。 愛用する靴下は、基本的に5本指で、脚部のないシューズ型(?)、さらにポイントは口ゴム部分が緩やかなものということになる。その靴下をどこで買うかというと、ホームセン…

選挙権とこんどの都知事選

先の参議院選挙で18歳から投票することができるように選挙制度が改められた。政治参加とか責任などの面から大きな前進と思う。 ところで当方の場合は、もちろん選挙権は20歳からであるが、そのころ選挙権を行使する選挙があったかどうか記憶が定かでない…

投票結果に思うこと

参議院選挙の結果が明らかになりました。どうも改憲勢力が3分の2以上を占める結果となったようです。今回から18歳以上の人も投票したはずですからこの結果をどのように見ているのだろうか気になるところです。それと”野党共闘”の成果だが32区のうち1…

さわらのあやめ祭りへ

家族の要望に応えて”北総の小江戸水郷さわら”に脚を延ばしました。 この地を選んだ理由は”あやめまつり”を見たいからということであったが、あやめそのものはほとんど見ずに「小江戸」の街並みを散策することで終わってしまった。 なるほどと反省したのは、…

「ホセ・ムヒカの言葉」に学ぶ

少し前にマスコミをにぎわした「世界でもっとも貧しい大統領」ホセ・ムヒカの言葉をまとめた『ホセ・ムヒカの言葉』(双葉社)を知人からいただいた。感謝しながら読んでみると、そのほとんどが貧困と格差をなくすためにどのように生きるかといった内容であ…

前東京オリンピックと野球大会

オリンピックの話題が尽きないこの頃である。2020年東京オリンピックを巡っては国立競技場の設計に関する話題が次から次と出てくる。エンブレムというマークの話題も「私企業への丸投げ」から起こったことだと思うが深追いされずに新マークが発表された…

若い歌手を見て夜間大学進学を決意

ひんしゅくを買っている話題で「なんとなく大学へ行って~」という政治家の話がある。少し違うが当方の大学進学もある意味で「なんとなく」であったと思う。想いおこすと50年ほど前のことである。 町の小さな印刷工場から夜間定時制高校に通っていた3年生…

定時制4年生で「進学クラス」を選ぶ

1週間ほど前のこと「高校のヒラサワです」という電話が入った。用件は「10月末に同期会を開くので日程をあけておいてほしい」という内容だった。この会合を前回開いたのはもう5年ほど前のことだろうか。しばらくぶりに開催を準備しているらしいことがわ…

弁論大会で司会をしたのだが~

いわゆる生徒会長として恒例の校内弁論大会(予選)の司会を務めることになった。 それより前に模擬弁論大会が開かれた。なぜか明治大学の弁論部の学生を招いて司会から弁論の仕方などを学ぶ機会が設けられた。それを見聞した当方は学生の堂々とした姿勢に圧…

給食費月800円で完全給食 

新校舎落成記念式典が高校創立15周年と合わせて1963年12月5日に新校舎で行われた。その時すでに校舎は使用されていた。実際に全日制の新1年生たちは勉強していたし、後期からは定時制のための完全給食も実施されていたのである。 完全給食について…

なんとなく「中央委員会会長」に

1年生の時はクラスで保健委員に選ばれた。 2年生になるとクラスを代表する自治委員に選ばれ、各学年、各クラスの代表たちとの打ち合わせに参加するようになった。いわゆる部活では社会班に加入し、当方は岩波新書などを手本に「ソ連」の一党支配ほかの特徴…

映画「見上げてごらん夜の星を」

♪♪見上げてごらん夜の星を♪♪ ♪♪小さな星の 小さな光が♪♪ ♪♪ささやかな幸せをうたってる♪♪ ご存じ坂本九がヒットさせた「見上げてごらん夜の星を」の一節である。 「見上げてごらん~」は、1960年にミュージカルとして大阪で上演され人気となった。その主…

集団就職と啄木題材の『北帰行』を読む

1昨年の秋ごろと思うが、集団就職と石川啄木に関連することをストーリーとした『北帰行』が発売されたという紹介記事が目に留まり、これは何が何でも読まなければと書店注文で入手した。この小説は、作者・外岡秀俊が東大在学中の1976年に発表した作品…

市民農園利用に当選しました

過日市民農園利用を申し込んだところ運のよいことに利用許可が20日届きました。3月1日から来年1月いっぱい利用できることになります。すでに3年目を迎える1区画と2年目を迎える1区画、合わせて3区画を利用できることになる。ほかに民間農園1区画…

弁論大会を聞きながら定時制進学固める

15歳から夜間定時制高校へ入学するまでとても”まじめ”とは言えないが通信教育講座を受け、ときおりスクーリングにも参加した。学習というよりは受講生仲間で作る「東京支部友の会」文学部に加わり交遊するほうが多かったように思う。そうした中で夜間高校…

ストーブで食パンを焼いてはいけないか

定時制高校では簡単な給食があった。冬には石炭ストーブで教室を温めていたが、給食に食パンが出るとストーブで焼いて食べる人がいた。ホームルームの時間にそのことがテーマとなり、多くは「ストーブで焼くことを禁止すればよいじゃないか」といった方向に…

『舎監』せんせい~の集団就職者は恵まれていた

昨年の夏『舎監せんせい』ー集団就職の少女たちと私ー(鈴木政子著、本の泉社)が出版された。ようやく入手できたので一気に読み上げた。登場する集団就職者は、東北、北陸出身で、世代も私とほとんど同じであり、ページをめくるごとに同じような光景が頭の…

”女わざと自然とのかかわり”展との遭遇

2月12日のこと用事があって世田谷区の東京農大に出かけた。少し時間があったので馬事公苑前の「食と農」の博物館に立ち寄った。なんと企画展「女わざと自然のかかわりー農を支えた東北の布たちー」を見学できた。偶然の大収穫である。 この博物館は何回か…

期末試験はさんざん

夜間定時制高校に入学したのは男女共学で60人ほどだったと思うが定かではない。クラスがAとBに分かれていたのでそのように推測する。また学年によってはCクラスもあったので4学年では200~250人が在籍していたと思う。私は4年遅れの入学だった…

夜間高校へ4年遅れの進学

通信教育仲間たちと交流する中で夜間高校へ進学できることを教えてもらった。それでもどのようにすれば入学できるか暗中模索の日々が続いた。ある時都立高校が夜間定時制の生徒を募集していることを知った。印刷工場のある場所から通学するためには近いほう…

たゆまざる前進を~1961年の決意

縫製工場に就職してから高校課程の通信教育を続け、月に1~2回スクーリングにも参加して学習していた。受講生仲間の文学部に加わりサークル活動にも顔を出した。その文集が残っているが私の作品はない。つまり文学部への加入は創作活動に関心を持ったため…

3年ぶりの帰郷

印刷工場に転職し、先輩職人の手伝いをしながら得意先へのあいさつの仕方や電話での応対などを身につけるようになった。印刷前の組版を間違えて解版して怒られたのも成長への経験であった。 その年の正月休みを利用して約3年ぶりに帰郷することになった。集…

隣家の火事で逃げ出す

就職から1ヵ月後の明け方のこと路地裏の隣家で火事が発生した。住み込みの従業員は工場の2階に寝ていたが、なんかいつもと違う”パチパチ”というか”パリパリ”といった音に目を覚まし火事に気が付いた。びっくりしたみながパジャマのまま逃げ出した。 しばら…

印刷工場の仕事はなんでも手伝う下働き

印刷工場といっても業種は、伝票類印刷がほとんどで端物(はもの)屋と呼ばれていた。近くには従業員30人ほどの印刷会社や名刺・はがき専門の店もあり協力しながら営業していた。仕事は職人の手伝いや下働きだった。 起床すると住居、工場の掃除、仕事の下…

17歳にして印刷工場へ転職

2月初めの日曜日、住み込みの転職先を求めて小さな求人広告と23区内地図を握りしめて高円寺から北千住へ向かった。ちょうどこの日は17歳の誕生日であった。 訪問先は小さな活版印刷工場だった。労働条件などを列記すると次のとおりである。 ▽勤務時間=…

新会社初月給は6000円

直営工場が改装されると社名が新しくなった(これは倒産ではなく工場の独立だったろうか)。いずれにせよ1月28日が新しい会社での初めての給料日だった。 初月給は6000円。食費2500円と社会保険料333円を引かれて手取り給料は3167円だった…

初めての新年会

2年目の正月(1959年1月)2日、東京近辺に就職した同級生のみで新年会を開いた。会場は同級生の女子が就職した鎌田のベーカリーショップ(パーラー)。参加したのは同級生10人と1つ下の男の子の11人だった。集団就職した男の子1人は連絡が取れ…

進路をはっきりしよう~1959年の決意

昨年後半の工場の変化に多少影響されたこともあり1959年元旦には決意をメモした。決意は「年始に当たり、自分に誓う。1959年は自分の進路を迷わず進むこと。進路をはっきりしたい。勉学するか仕事に熱を入れるか、そして考える力を養い、人生を築い…

会社は倒産していたんだ

就職2年目の春、中卒の男子4人ほどが就職してきた。1年間でどのような技術を身につけたかは別にして”先輩”の立場になったことは確かである。 このころ私は、大学受験資格が得られるという民間の通信教育(本部・東京上野)を受講していた。受講生で作って…

映画は2本建て3本建てで

東京・高円寺駅近くに映画館が2つあったように記憶している。中野駅近くには東映、大映の映画館があった。映画といっても当時は封切館といわばアウトレット式の2本建て3本建て上映館が多くお金のない少年はこちらの映画を楽しんだ。タイミングを逃し混ん…

街頭テレビや銭湯が楽しみ

住み込み生活は中学校の延長みたいにワイワイしながら過ぎていった。 始業時間前は工場内外の清掃が日課で、これは随分と鍛えられたと思う。よその職場に移ってからの周囲の評価などを考えると少年時代の良い経験、習慣として残っている。食事はその当時当た…

進学希望から就職決断へ

3年生になると卒業後の進路について担任の先生が時折質問してきた。 そのころ、3歳上の兄が下宿しながら町の高校へ通っていたこともあり、父も私もなんとなく高校進学に傾いていた。おそらく父親は、祖母(私の)の実家が息子を進学させていたとか父の妹も…

就職先は縫製工場

就職先は、東京の高円寺にある紳士服縫製工場だった。この工場の本社は神田近くにあり百貨店などに自社ブランドの紳士服を納品販売していた。その直営工場であった。 当時従業員は責任者を含め11人(うち住み込み従業員6人)ほどの規模であった。その工場…

1957年春、中卒者の就職模様

私が就職したのは1957年(昭和32年)3月末だった。 就職の日程が決まると親戚をあいさつ回りした。それは”礼儀”であったが正直言ってしたたかな計算もあった。というのはお金がないために上京してからの手持ち資金を少しでも多くしたいというわけであ…

集団就職の始まりは1954年春

集団就職が始まった時期についてはいろいろ説があるようですが、一般的には1954年(昭和29年)4月5日、青森駅から上野駅に向けて中学新卒の就職者を乗せた臨時列車が出発したことが始まりとされる。以来1975年春の臨時列車まで集団就職列車は続…

「集団就職世代の想い出といま」を綴ります

新年おめでとうございます。 年を改めて「集団就職世代の想い出といま」のブログを始めることにしました。 北東北の奥深い山の集落から15歳誕生日を迎えたばかりの少年が都会のイメージさえ持たずに町工場に就職した。それから60年近くが過ぎたいま数多…