集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

領収書発行に明細が無いのはなぜだろう

 先の日曜日に公園清掃のボランティアに参加した。作業が一段落したので皆でお茶を飲もうとコンビニで買い物をした。当方は当然のように”領収書”を求めると親切な店員さんは領収書を発行してくれた。領収書には買い物の総額が記入されているのみだったので、いつももらえる品目が解るレシートを求めると「これはお渡しできません」という。

 そういう仕組みになっているのかと思い、しつこく請求することなくその場を立ち去った。どこか気分的に「買い物明細があった方がよいのにな~」の気持ちが残った。

 その日の夕方、ボランティアで要望のあった品物を探して近くのホームセンターに出かけた。広いセンターではどこに探し物があるかわからないので店員さんのアドバイスに頼ることにした。なるほどこんな場所にあったのかと思いながら品選びを済ませた。レジで「領収書」を求めると、スムーズに「領収書」と品目明細が発行された。しかも領収書には担当者が簡単な朱印を押してくれた。

 コンビニとホームセンターのレジシステムには「領収書」発行で大きな違いがあることが分かった。おそらく客層や品揃えによりシステムの組み立てが根本から違っているのだろうと思う。ただコンビニに対して「領収書」発行とともに買い物明細(レシート)を手渡すことぐらい容易にできることだろうと改善を求めたいものである。

モラルの危機に関して

 先日の新聞で、アメリカの資産格差が深刻であることが報じられた。その記事の中に「モラル危機だ」との表現があり、”モラル”という言葉に関して若いころを思い出した。想い出は記事の”資産格差”とは全く関係ないことを断っておきます。

 若いころ当方は従業員組合の役員をしていたことがある。そのころ勤務している会社は最後の追い風から少し外れていたように思う。その前までは比較的順風満帆だったために遅刻など問題にされないとか勤務中に麻雀に出かける者が出ることもあった。そうしたルール無視の気風を直したい気持ちから職場集会で従業員の「モラル」の欠如について発言した。

 すると、遅刻常習者ともいえる組合員仲間から「モラル」が問題なのではなく「モラール」を問題にすべきじゃないか。言葉を「モラール」に訂正しなさいと突っ込まれてしまった。

 正直当方は「モラル」(道徳とか規律といった意味)と「モラール」(士気とか向上心)の意味の違いについて理解していなかった。英語に詳しい彼たちはしつこく食い下がってくるので、その「モラール」を高めましょうというような説明をした。 

 その後の組合集会で、当たり前のことだが「遅刻」などなくするように従業員自ら勤務態度を正すべきだと発言した。反論は「いまの出勤時間は私にとっては常識だ」というものだった。当方は「常識というものは、個人が決めるものではなく、社会全般に認められるものである」といった説明をした。彼は「遅刻は何が悪い。俺の常識だ」と開き直っていた。彼は次第に職場から浮いていかざるを得なかった。

 いわば従業員組合(労働組合)による職場改善の取り組みであった。そんな組合員間の論争を重ねながら経営者の体質も問いながら組合役員を長く務めてきた。 

 一つの言葉・ことばに関しての想い出である。

 

 

ソプラノリサイタルで緊張でした

 祝日「文化の日」から遅れてしまったがきょうは、親しい人に誘われてソプラノリサイタルへ出かけた。ふだんの生活から見るとジャンプしたような文化の雰囲気に包まれたひと時であった。その文化的時間というのは普段の農耕的な生活からするとやや緊張感の高まる時間でもあった。

 リサイタルの前半は童謡・唱歌の範疇だろうか「早春賦」、「舟唄」、「赤とんぼ」、「ペチカ」などが披露された。前半は少年から青年にかけて歌っていたような気がするのでなんとなく理解できたし、懐かしさも感じた。

 ところが後半になると、オペラ曲が続いた。これは当方の理解の外の”文化”であり緊張感の方が先立ってしまった。歌い手の質の問題ではないオペラに対する受け手の関心度合いの問題であること間違いない。 

 独唱発表会は映画や演芸と違い、受け手の素養により同調したり想像できる余地が限られるために楽しさよりも緊張感が勝ってしまう。そんなソプラノコンサートでしたが親しい友人に感謝です。改めて感謝。

10月の速足散歩は18回でした

 おなじみの速足散歩、10月は18回(日)にとどまりました。ちょっと少なかった理由は、台風21号と22号が荒れ狂ったことと法事で遠出したことです。季節の気候にめげずに頑張ろうという決意ではなく”無理をしない”のが基本の散歩であり、条件に見合った成果だと思っています。

 ラジオの天気予報を聞いていると「西の空は黒い雲に覆われた夜なのに、東の空を見ると小さな雲が赤く染まっている夜明け前」といったようなしゃれた説明が流れていた。ちょうどこんな時間に60分ほどの散歩を済ませて帰着するのが朝の慣わしである。それから60分ほどすると出勤時間になる。

 さあ無理せずに11月も散歩を続けよう。感謝。

民進から希望へ移った諸君は自身を振り返れ

 昨日のテレビ、今朝の新聞を読みながら民進党から希望へ駆け込んだ国政議員たちの身勝手さにがっかりし”愛想が尽きた”感じである。

 小池たんの旗振りで希望の党ができた。誰が仕組んだかわからないが前原が駆け込んで合流を一応取り付けた。そこに連合もいたのである。前原の提案を聞いてシャンシャンと合流を全員が承認した。前原は「公認」を得るといっていたでしょう。

 希望が公認するということは、希望の掲げる政策を実現するために働く議員を増やすのが狙いなわけだから、希望の政策に賛同することは当然のことである。原発、消費税、憲法共謀罪などの問題を含めて概ね共鳴するから「希望」の看板の下で選挙に臨むのは当然のことである。希望が掲げる政策は、私の主張とは違うというなら最初から同意しなければよかっただけの話である。

 マスコミによると、小池の発言が悪いとか前原に騙されたとか言っている諸君がいるようだ。実に情けない。国政の議員、民進党員であったなら、政党の主義主張や政策の違いぐらいわきまえていてほしい。移籍とか合流と言おうが、新党へ「入党」するわけだから、希望の規約や政策に縛られるのは当たり前である。そうしたことを真剣に考えずに風当たりの良い「看板」だけを借りようと考えた国政議員はこれから切り捨てられるのが当然である。

 コイケの責任だとかマエハラの責任だというなら、自分自身が民進党員として選挙民の前で何をやってきたのかを真剣に振り返るべきである。自分自身の信条、信念をもう一度見つめなおして、下野すべきであろう。国費の無駄遣いはやめてほしい。

有名企業の不正事件などの背景にあるものは~

 大企業をめぐる気になる話題が続いている。ごく最近では神戸製鋼所日産自動車の不正事件である。ほかにも東芝やシャープ、エアパックのタカタ、または過払い金テレビコマーシャルで知られる弁護士事務所など挙げられる。いわゆるブラック企業的な問題ではNHK、電通ヤマト運輸なども挙げられる。

 こんなおり朝日新聞10月24日付「波聞風問」で編集委員の多賀谷氏が「続く企業不正」を取り上げている。タイミングを得た解説記事(?)だと思い読み進んだのだが、当方の理解不足だとは思うのだが上手にはぐらかされた感じであった。のっけから「不正の全体像、原因の究明はこれからだ」というのだから「解説」と期待したのは誤りである。当方の期待は「どうして、有名企業の不正または類似する事件が続くのか」ということである。

 一般的に”法令順守”はすべての企業や事業所で守るべきことだと認識しているが、そのことが企業幹部の間でないがしろになっていることが明らかである。それが企業風土として広がっていくとどこかでほころびがあらわになってしまう。そうした結果ではなかったのだろうか。

 そうした背景に、企業間競争とか収益第一、利潤第一、株主優先の企業などの考え方が貫いていたのではと思うのである。まさに”資本”そのものが企業を支配し顧客や社員とその家族は二の次三の次になってしまっていたのではないだろうか。

 そんな切込みを編集委員の方の記事として期待している。

 

 

パーキンソンの兄が亡くなりました

 昨日昼前に兄嫁から、「入院中の夫が亡くなった」との電話が入った。兄は昭和13年生まれであるから80歳と言って良いでしょう。よく頑張った生きたなぁというところである。

 兄は、当方が集団就職した春に地元の高校を卒業し東京の町工場に就職した。その工場の仕事は長続きしなかった。転職を重ねながら結婚し、60歳過ぎまで働いた。そのころ福島県の嫁さんの実家近くに家を建てて夫婦で移住した。それからしばらくしてときおり動作に変化が現れるようになったそうである。後に「パーキンソン病」に侵されていることが分かったらしい。病状は徐々に進展し出かける折には付き添いが必要になってきた。2年ほど前に隣の市立病院に入院することになり、幸いにも集中治療室に入ることができた。この8月末には医師から「危篤状態」と判断され、当方も見舞ってきた。それから1ヵ月も頑張ったのだから、持って生まれた生命力を使い果たしたのだろうと思う。

 兄は、親の勧めで地元の高校に入学し、下宿生活をしながら卒業した。その生活模様を聞いてきた当方は中学3年生になってから「とても貧乏な下宿生活などできない」と進学を断念して集団就職を選んだのだった。

 それにしても「パーキンソン」という病は厄介なものらしい。早く治療方法などが見つかり病から救われる人の登場を望みたいものである。同時に10年前後献身的に付き添ってくれた兄嫁に感謝したい。ご苦労様でした。感謝です。