集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

サボテンの花が咲きました

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 我が家にはサボテンがいくつか生育しています。その一つが昨日花を咲かせてくれました。実は同じサボテンの2輪目の開花です。前例からすると3日ほどで花を閉じ次第に廃れてしまいます。美しいというかカレンというべきかともかく珍しい花です。

 今回は写真を残しましたのでご紹介します。サボテンの種類などわかりませんので、アドバイスいただければ幸いです。

 もう一つのサボテンには2つの花芽ができ成長中です。気温が高くなるごとに成長が早まるようです。開花を楽しみに観察を続けます。

6月15日は「共謀罪」成立の日

 さまざまな記念日が多いなか、「今日は何の日」として過去を振り返ることが多い。

 きっと、数年後には2017年「6月15日」を「共謀罪」強行成立の日として想いおこすことになるだろう。詳細はわからないが、犯罪の実行がなくても「計画を話し合っただけでも」捜査し処罰してしまうことらしい。よく言われたのは、お花見の下見なのか”双眼鏡を持っていると犯罪計画の打ち合わせ準備”といった法務大臣説明など、訳の分からない説明が繰り返され、ついには国会開会中にしゃにむに成立させたのがこの「共謀罪」である。まさに自民党公明党日本維新の会の凶暴、共謀である。

 今国会は実質、6月17日まで続く。その会期中にどうしても成立させたかったのだろう。先に衆議院本会議で強行し、参議院に回されたが、参院法務委員会での審議を打ち切らせて、参院本会議に持ち込んだ。それも14日深夜から15日にかけての異常、強行が重ねられた結果、ついに国会の手続き上は成立してしまった。

 民主的手法が”当たり前”と考えてきた当方の70年以上の人生経験を大きく変える法体系になるのだろう。何か話し合うと「共謀」ととらえられ、知人、友人の行動やしぐさを「密告」する日常が次第に定着する。そんな生活を考えるとぞっとしてしまう。

 「共謀罪」の実施を許さない日常、そして「共謀罪」の廃止を実現したいものである。そのための知恵が必要である。

玉ねぎ、ジャガイモの収穫

 我が家の市民農園はいつもながら多忙である。ちょうど梅雨入り前に玉ねぎを収穫し終わった。玉ねぎはいま軒下で乾燥中である。子供の頃冬になると保存食用の「凍み豆腐」を作り、軒下で乾燥させていたが、そんな風景が浮かんでくる。ほかに夏大根の収穫を始めた。大根は寒い中で育つのが本物と言える。素人の育てる夏物の味はどうかと心配したがまずは新鮮さを味わえるのが楽しみである。そして、3月に種まきしたジャガイモの収穫が始まった。生育状態から少し早めだが「キタアカリ」品種から掘り起こして新じゃがの味を楽しんでいる。

 さらに、キュウリがほとんど毎日のように収穫できるように生育している。ナスもほぼ毎日1個とれるようになってきた。

 これからの楽しみは、ピーマン、シシトウ、トマト、インゲン、つるむらさき、モロヘイヤ、トウモロコシである。ほかに里芋が芽を出して成長している。これは当方が植えたわけでもないのに勝手に成長しているもので、自然の恵みとでも言えそうである。成長、収穫を楽しみにしている。

 農園作業で汗を流し、医者いらずの老人生活を楽しみたいと願っている日常であります。感謝。

 

高木敏子の「ラストメッセージ」を読んで

 ひょっとしたきっかけで高木敏子さんの「ラストメッセージ」に出会うことができ、興味深く読みました。高木さんは「ガラスのうさぎ」の作者であり、ご高齢ながら活躍されておられるようである。この本は「ガラスのうさぎ」の誕生を柱とした高木さんの追想記とでもいう内容のようだ。ということで「ガラスのうさぎ」について、ようやく概略を知ることができました。

 当方は若いころ「ガラスのうさぎ」の映画を見たような気がする。というのも「ガラスのうさぎ」について”うっすらとした記憶が脳みそにこびりついている”からである。それが「はっきりした記憶」でないことも確かである。もやもやした想いをたどりながら、横浜で起きた米軍偵察機の墜落着陸事故と幼い子供2人が犠牲になった事故を思い出していた。どうも様々な経過から「ガラスのうさぎ」と横浜での米軍機事故が重なってしまったような気がする。

 小説「ガラスのうさぎ」が出版されたのは1977年12月8日(金の星社」だそうである。そして映画「ガラスのうさぎ」が試写上映されたのが1979年6月のことという。一方横浜市での偵察機事件が起こったのは1977年9月27日。翌日には幼い子供2人が亡くなっている。4年ほど後には若いお母さんも亡くなっている。その事件の模様は「パパ ママ バイバイ」の作品として広く知られるようになった。また1988年には「愛の母子像」が設置されている。

 どうも「ガラスのうさぎ」の映画と横浜事件とその後の経過が、当方の頭の中で重なりあい混乱を深めたように思う。

 そのころ当方は結婚間もない時期であった。横浜での米軍偵察機墜落とその処理の仕方を報道で見るたびに腹立たしく思ったことは忘れていない。その後に映画「ガラスのうさぎ」を鑑賞して、余計に戦争の悲惨さと米軍の勝手な振る舞いに怒りが増したような気がする。そうした思いは今でも変わっていない。

 貧困との闘いと平和の希求は当方の最大のテーマであり続ける。

 

5月の速足散歩は26回(日)でした

 健康のためと努力している”速足散歩”5月は「26回(日)」を数えました。予想以上の回数で、自分にご褒美といった感じです。

 比較的多かったのは、雨の日が少なく天候に恵まれたことが大きな要因。それと日の出が早まったことから朝4時30分スタートも取り入れたことである。冬の間はこの時間だと暗いことと寒さが厳しいために無理はできない。夏は夕方よりも早朝の方が歩きやすいかもしれないと思うようになりました。

 これからも条件が整えば早朝の散歩を重ねてゆこうと考えているところです。

 速足散歩で健康ライフ、医療費軽減で経済負担も軽やか。感謝、感謝。

ブラシの木が見ごろ

 午後、公園内で花壇を作っている関係で様々な問題で協議が必要ということで出かけた。この件は話し合いが順調で「予期せぬ難題」などはなく、みな”ホットした”模様だった。まずは「一件落着」となりました。

 その足で近くの公園へ行くと「ブラシの木」がちょうど見ごろでした。

 図鑑などによると、フトモモ科の常緑広葉低木という。オーストラリアから明治時代に渡来したものという。花期は5~6月で今がちょうど見ごろといった感じ。赤い花がボトルを掃除するブラシに似ていることから名付けられたといわれる。真っ赤になった花が、確かに台所で見かける食器洗い用のブラシによく似ているのだ。納得である。

 写真で見ると、理解が深まると思います。 

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山菜はいっぱいあった

 子供のころの食事は実に貧しかったが山菜はいっぱいあった。いま都会で珍重されているタラの芽とかウド、またはフキノトウなどごく自然のものであり珍しい食材ではなかった。季節に山に入ると無理なく手に入るものだった。いま都会で高価な値段を見てびっくりするほどである。

 山菜と言えば、タラの芽、ウド、フキ、ワラビ、ぜんまい、こごみ、ウルイ、ニラ、野ビル、ヨモギ、アザミ、シドケ、セリ、ミズ、シドケ、トコロなど季節ごとに食べるものはいっぱいあった。ほかに山菜ではないが各種キノコなど食材は自然が提供してくれた。

 ここで特に「トコロ」について触れておきたい。一般に「野老」(ところ)と表現されている。ヤマイモ科のつる性植物で山には自然に繁殖している。その根をおやつなどとして食べていた。根を掘り起こしゆで上げて食べるのだが、決してうまいものではなかった。それでも腹が減っているために何個も何個も食べたものである。

 根は、落花生が無造作につながったような感じで無数の細根が生えていた。ゆで上げると黄色くなり、細根を取り除いて食べたものである。少し苦みがあったような気がする。そんなときは黄な粉を付けて食べた。

 改めて調べてみると一般に「トコロ」(野老)の根は食べられないという。ただ同じ仲間の「オニドコロ」とか「ヒメドコロ」は食べられるという。実際に新潟県の一部で昭和30年代に「オニドコロ」の根を食べていたとの証言もある。ほぼ同じ時代の食生活と言えそうである。

 ほかに都会ではあまり見かけないが、「ミズ」は食べてみたい山菜である。当方の記憶では、澤水が流れるあたりに繁殖していた「赤ミズ」(都会では青ミズが売られている)である。根元をすりつぶしてねばねばにしてご飯にかけて食べていたのを想い出す。決しておいしいとは思わなかったが、いまの時代に食べてみたい自然食材である。

 自然の恵みに感謝することの大切さを想いおこす”現在”2017年である。